cartaphilium

La prière la plus solitaire est ainsi la plus solidaire des autres.

批評

ピエール・バイヤール『アクロイドを殺したのはだれか』について

(※その知名度に鑑み不要かもしれないが、この文章では『アクロイド殺し』の犯人および『アクロイドを殺したのはだれか』においてピエール・バイヤールが指摘する「真犯人」の名前は明かさない。) はじめに 第三章の検討:レトリックの失敗 第四章の検討:…

啓発をかたる共犯性――映画『帰ってきたヒトラー』について

2015年公開の映画『帰ってきたヒトラー』は「現代にヒトラーが蘇ったら?」というifを描いたタイムスリップものの映画である。ヒトラーがヒトラーのまま(モノマネだと思われ)コメディアンとしてテレビスターになり、本を書いたり、復活してからの彼のエピ…

「ラビットホール」は本当に初音ミクが歌っている曲なのか?

以下の非常に面白いラビットホールの歌詞解釈を読んだので歌詞とMVを見返していたところ、まったく別の解釈が浮かび上がってきた。 noteのコメント欄に書かせていただこうと思ったものの500字の文字制限を知らなかったので投稿できず、こっちに書くことにし…

点、線、死線、マシンガン――北野武『ソナチネ』について

※映画の視聴を前提に書かれています。 緊張と弛緩、不発、遊戯としての発砲。『ソナチネ』において多く挟まれる「点としての死」のモチーフは、少しずつ毒が回っていき体が思うように動かなくなるような、そうした緩やかに死へと向かっていくことを予期させ…

樋口円香の単色アイコンについて

時がすぎるのはあまりに早い。 同じ昨日を繰り返しているようで、また訪れる今日はすこしづつその軌道を変えて、私たちはいつの間にか遠くどこか離れた場所にいるものです。 半年前に私たちが何について話していたか、覚えていますか? そう、樋口円香さんの…

『サマーフィルムにのって』はフィクションである。当然ながら。

映画『サマーフィルムにのって』を初めて見た人は、何よりもその作中において特権的に見過ごされたパラドックスによって混乱することになるだろう。しかしそのパラドックスは、「これはフィクションである」ということを明示することによって(都合よくも)…