cartaphilium

La prière la plus solitaire est ainsi la plus solidaire des autres.

カレン・メルヴェイユの百合論①

この文章について
 Le manga au fémininという本(http://www.editions-h.fr/M10kimages3.html)に掲載されている « La révolte du lys : une odyssée du yuri »という文章の翻訳その1です。

 百合をその歴史から体系だって説明したジャンル論になっており、筆者のKaren Merveille氏が日本文学や日本史を専門に研究していたころに書かれた論文みたいです(Le manga au fémininは2010年発行)。

 ますます百合が発展していっているなかで、日本(語圏)において未だまとまった百合論が存在しないという状況はゆゆしきものだと思いますし、そうした点からの資料的価値もあるのではと思います。

 ずいぶんまえにnagat_o氏が序文を邦訳してくださっているのですが(https://nagat-o-blog.tumblr.com/post/41704180724/メルヴェイユの百合論-序文)、序文以降は邦訳がないので、ぼちぼちやっていこうかなと。

 今回は第一回というわけですが、すでに邦訳が存在する序文だけやっても芸がないので、今回の範囲は序文とそれにつづく一章です(これで全体の5分の1程度)。nagat_o氏の邦訳はけっこうびっくりするような誤訳が多いこともあり、序文の訳し直しも無駄ということはないかなと思います。ちなみに序文の原文は上のリンクにあるサンプルpdfから読めます。翻訳の精度とかを確かめてやるぜ~みたいな熱心な方はどうぞ。例によって許可を得ているわけではないゲリラ翻訳なので、お叱りが来たりなどしたら謹んで削除します。

 

 

 

白ユリの反乱:「百合」の冒険譚

カレン・メルヴェイユ

 

 『クローディーヌ…!』、『少女革命ウテナ』、『マリア様がみてる』、『少女セクト』、そして『LOVE MY LIFE』に共通している点とはなんだろうか。これらの漫画はすべて、元々発表されたのが男性向けの雑誌だろうと女性向けの雑誌だろうと、ファンたちにとっては、同じ「百合」というサブジャンルの一部になっているのである。

 1970年代、ゲイ雑誌の編集者だった伊藤文學がレズビアンを形容するために「百合族」という言葉を用いたとき、かれはまさかこの「百合」という言葉が、女性の同性愛を扱った非常に独特な編集上のジャンルを指す言葉として、ある読者や漫画家たちの一世代全体に横領されてしまうとは思ってもみなかっただろう。近年でもこの意味の「百合」の人気は増えつづけている。一迅社のような特定の出版社にとってはなんとしてでも利用したい棚ぼたの利益として、作家たちにとっては物語のなかにサッフォー風の*1ほのめかしをなにかしら入れることで多くのファンを惹きつけることのできる実入りのいい手段として。「百合」や「ガールズラブ」について、日本のオタクと話してみてほしい。それが男性であれ女性であれ、もし彼(や彼女)がそのジャンルのタイトルのいくつかを挙げられなかったら非常に驚きだろう。

 けれどもフランスでは、男性読者向けのポルノ漫画という漠然とした想定を除いては、一般的に「百合」という言葉はこれといったなにかを連想させるものではない。その想定も、間違っているわけではないが、きわめて単純化されている。違うのだ、「百合」は、シリコン加工された*2女子高生たちがロッカールームで舌を使ったスポーツを繰り広げるだけのhentaiなカテゴリーではないのだ。また、百合は「やまじえびねのようなシリアスな漫画のこと」でもない。やまじえびね的な百合は、彼女固有の表現方法にすぎない。最後に、百合はただ単に、女性読者に空想させられるようなイケメンたちの恋愛関係を扱った「ボーイズラブ」の反対にすぎない、というひとがいるかもしれない。これは悪い答えではないが、逆に言えば、同時にこの答えは、百合は男性ホルモンでいっぱいの読者を惹きつけるだけで、女性読者を惹きつけないということを言外に示唆している。

 ところが、一迅社のような出版社の統計が示すように、百合の読者層には女性読者が無視できない割合で含まれている。雑誌『コミック百合姫』の読者は3分の2以上が女性で、そのうち二十代以上が70%を占め、三十代以上も25%近くを占めている*3。さらに言えば、もし男性向けポルノにおけるレズビアン幻想の重要性や、男性漫画家のこのジャンルへの投資を否定できなかったとしても、日本のフィクションにおける女性同性愛の歴史に興味を持ったとき、「現代的な」百合の起源が女性向けの出版物のなかに見つかることはあきらかである。1970年代の少女漫画における異性装や女性の性同一性障害へのこだわり(造語がお好きなら、「プロト百合」)、十代の少女が歳上の女性(「お姉さん」)に惹かれること、学園恋愛、純真無垢なブロンドのヒロインと経験豊富なブルネットの女性との関係性、花言葉...... これらはすべて、少女向けの芸術作品にかなり早くから見出すことができる。それでも信じられないだろうか。

 「百合」はあとになってからつけられた名前であり、それは「ボーイズラブ」の模倣としての「ガールズラブ」だとも言われているが、けっして日本において最近の出来事だとはいえない。わたしたちはタイムマシンの助けを借りて、明治時代と大正時代が交差する20世紀初頭の大衆文化のなかに、しばしば「少女文化」と呼ばれるものとして生まれたものに、その創設を見出すことが可能なのである。

 

大正少女たちはなにを夢見ていたのだろうか?

 自分の娘たちが宝塚歌劇団吉屋信子少女小説(「エス小説」や「クラスS」*4とも呼ばれる)に惚れ込んでいるのをみて、当時の人びとはそう尋ねあったに違いない。破壊的で堕落的なメッセージを含んでいたために、どちらもモラリストたちのあいだで論争の的となっていた。

 欧米では、氷栗優などの本国(フランス)でも出版された作家の一定数が宝塚歌劇団への愛を語っているため、一般的に人びとは宝塚についての漠然とした理解はもっている。とりわけ池田理代子の描く男装したヒロインなど、この演劇の伝統は漫画家のインスピレーションの源となっていることが多く、宝塚も『ベルサイユのばら』などを舞台化することで好意を還元しているということがわかったのだ。

 宝塚歌劇団は1913年、観光客誘致のための新しいアトラクションを探していた、当時政治家であり実業家でもあった小林一三の後援のもと、兵庫県で誕生した。歌舞伎が男性のみで演じられるのに倣って、男役を男装して演じる女性だけで構成された劇団を作りだそうと決めたのだ。グループ名は鉄道路線(阪急宝塚)にちなんで名付けられたとされ、初回公演は1914年に行われた。今日でも変わらず宝塚は存在し、成功を収めつづけている。

 宝塚は女性の役者だけで構成された劇団だから、何よりもまず男性の観客が多いのだろうと思うひともいるかもしれない。しかし実際には反対で、レヴューが魅了したのは女性の観客だった。公式の統計はないようだが、観客の90%は女性だとも言われている。遠い昔であっても、同様に観客の過半数は女性が占めていたという。いったいなぜ? この女性による男装ショーに、彼女たちはなにをそこまで惹かれたのだろうか。

 エリカ・アビット*5によれば、当時の日本の若い女性たちはきわめて短絡的に、宝塚をフェミニズムの理想を体現したものとして見ていた。宝塚は家父長制の図式のもと築かれていたにもかかわらずに、である。というのも、女優たちは退団後、家族だけでなく国家全体のためにも良き妻、良き母になることを運命づけられていたからだ(「良妻賢母」の理想形である)。とはいえ、女性の観客にとって、男装した女性が演じる「男役」は非常に革命的なものに映ったようだ。すなわち、たとえ「男役」が劇中ではひとりの男であっても、観客の女性たちは違った仕方で彼女を感じ取り、男の社会的役割とそれに伴う責任や社会的権利を引き受けているひとりの女性として見ていたのである。

 しかし、この分析がたしかに間違っていないとすれば、ジェニファー・ロバートソンがしたように、宝塚にはセクシュアリティそのものと結びついた、より厄介な性格があることを指摘することは有益だろう。同時に男女を演じ分け、舞台上で情熱的な愛の物語を生きるこの女優たちについて、どうして考えずにいられようか。男役と娘役の情熱のなかに、道徳的・社会的法則に立ち向かう同性愛的関係を見ずにいられようか。禁断の、それゆえに必然的に熱狂的な恋を。

 1970年代後半の漫画家がそうだったように、当時の女性観客たちは間違いなくこの強いほのめかしに敏感だった。そもそも当時の新聞が、お気に入りの男役にのぼせきったファンが送ったラブレターや、若い女性同士の駆け落ちや心中事件まで、ゴシップ記事をいち早く報じていたのだ。たしかに、ジャーナリストはいつでもすぐに話に盛るから、虚偽から真実を抽出することは難しい。けれども、そのことがスキャンダルになって、1920年代頃には男役は恥ずべき事件を避けるためにファンとの交流を禁じられていたという事実が残っている。日本には男性同性愛の長い歴史があったが、サフィズムは人目を引きすぎるようになるといつだってよく思われてこなかった。けれども、同じ頃、少女小説というまったく新しい文学ジャンルが生まれ、そこではとくにレズビアンでありフェミニストの作家、吉屋信子が活躍していたのである。

 「少女小説」は概して純真無垢だった。「エス(S)」という言葉は「クラスS」と「少女小説」の両方の名称のなかに見て取ることができるが、一般的に、あるときは「少女」という言葉を、またあるときは英語の”sister”の頭文字を指すものと考えられている。しかしながら今日では、現代の百合において、「エス(S)」は少女同士の融和的で愛情に満ちた関係を指すための婉曲表現になっていることが多い。おまけに、雑誌『百合姫S』のタイトルにも再利用されている。おそらく、吉屋の語る物語の影響で意味が変化したのだろう。

 彼女のもっとも有名な作品は、雑誌『少女画報』に9年間(1916〜1924年)の間に初掲載された短編小説をまとめた『花物語』だ。吉屋信子が喚び起こすのは、女子校に通う思春期の少女たちのセンチメンタルな悩みや、とくに結婚にたいする「宿命的なもの」という見込みを伴った、大人の年齢になってからの恐ろしい別世界に直面することへの恐怖だ。少女たちは学校という額縁から離れることを恐れ、大人の女性たちはまだ少女だった頃(無垢な子供だった頃)を夢見る。一方で、男たちはネガティブな役割を担うことが多く、女性に下品な言動で接したり、商品のように扱ったりする。

 反-家父長制的、反「良妻賢母」的なメッセージはこれ以上なほどに明確である。しかしながら、この核心をついたメッセージに加えて、古屋は女性同士の感情の美しさをも強調し、ときには少女と歳上の女性とのあいだの絆に大きな関心を寄せる。他の作品では、あえてエロティックなだけの描写をすることもある。彼女の筆致は、性行為の喚起に関しては繊細なものにとどめている(彼女の著作が若い読者向けのものということを忘れてはならない)。しかし、『花物語』がたんなる純愛ものの連作だと考えるべきではない。

 「日陰の花」は、ひとりの少女がほかの少女に対して抱く肉欲が完全に中心に据えられている。母を亡くした環は、満寿という母の生き写しのような女性に出会い、すぐにその見た目に性的魅力を抱くようになる。また、物語によってはより悲劇的なスタイルになっている。『合歓の花』では、〔主人公の〕順子は、指輪をしているのを見て婚約を知った最愛の人、満智子の写真を握りしめたまま病死する。1970年代の未来の少女漫画のトーンを予告せずにはいられない、恐ろしい結末。

 吉屋信子が彼女固有のファンタスムを描いているだけだと考えるのは間違っている。同性愛への訴えかけは、ここではまったく別の十八番の役に立っている。つねに男性の支配と女性の服従に立ち向かうために、筆者は根本的に対立するふたつの世界を築き上げている。一方は、少女たちの非現実的で空想的な世界であり、そこでは彼女たちは恋愛の駆け引きを謳歌し、互いの純粋さを見ていて、同様にエロティックな美しさが称揚される。

 もう一方は大人たちの世界で、少女たちは男たちによって無垢な世界から引き剥がされ、つらい現実を突きつけられることで女になっていく。幸せな思い出のノスタルジーだけが、彼女たちを失われた楽園に連れ戻すことができる。理想化された、愛され合うふたりのあいだの等号というひとつの土台のうえに構築された同性愛の愛*6は、女の男への服従のうえにしか築かれない異性愛の愛とつねに対立しているのだ。

 現代の百合は、概してこの糾弾的な側面を失っているか、希薄になっている。しかしながら、1970年代の特定の物語の悲劇的な要素や、女性同性愛の理想化、現実の大人の世界から切り離された女子校で起こる物語がいまだに強い優勢にあることなどを通して、この影響の痕跡は今でも見て取ることができる。同様に、妹の姉に対する憧れや、先生のような権威のある人への年下の女の子の憧れといったものにも。

 吉屋信子の文章は文学者たちからは批判されていたが、すでに宝塚の男役に魅了されていた若い娘たちのあいだでは大人気だった。女子校では、年下の少女たちは年長の少女たち、「お姉さん」に情熱的な思慕の手紙をやり取りするのに夢中になっていたが、大人ではなく十代の少女の特権である限り、多かれ少なかれ黙認されていた。

 しかしながら、この寛容さはやがて終焉を迎え、少女小説1920年代には検閲を受けることになった。幾人もの少女たちが噴火口に身を投じた三原山の事故が、火薬に火をつけたようだ*7。このような心中の事例が、女性同性愛に汚名を着せる正当な理由として指摘されたのである。それは社会問題とみなされ、他の問題と同様に、摘出されるべき存在となっていた。異性愛者にも自殺という現象が存在していることに疑問を抱きはしなかったのだろうか? ほんの少しも。女学生たちが破廉恥な手紙を交わすことは禁止され、こうした恋愛は少女を「純潔」から踏み外させるとして悪魔化された。女同士の恋愛感情が存在する権利のない、このますます苦しくなる現実とともに、『花物語』の最後のエピソードはいっそう悲観的になり、いつか大人になってしまえば彼女たちの愛を生きられないことに絶望した何人ものヒロインたちが自殺していく*8

 ときに並外れた吉屋信子の弁護にもかかわらず、検閲が最も厳しくなり、少女漫画がプロパガンダの道具になったとき、サッフォー風の修辞表現は抑圧され、最終的には戦争への恐怖とともに完全に消えてなくなった。その当時、この種の物語をよみがえらせることは不可能なように思われた。不死鳥のごときメロドラマ的な再生を為すまでは。*9

*1:訳注:レズビアン的な、の意。

*2:訳注:おそらく、主に胸とかを、不自然に。

*3:訳注:単純な算数になるが、十代が30%で、いちばんのボリューム層の二十代が45%、三十代以上が25%、ということになる

*4:訳注:「エス小説」に比べてこちらはあまり見ない表現だが、英語版Wikpediaには記事が存在する(https://en.wikipedia.org/wiki/Class_S_(genre)。ただ、多少調べたが、インターネット上では日本語圏でこのことばを使っているひとは見つからなかった。)

*5:原注1:エリカ・スティーブンス・アビット「両性具有と他者性:日本のパフォーマティヴな身体から西洋を見る」『アジアンテアトルジャーナル』ボリューム18、第二巻、2001年〔訳注:論文リンク(https://www.jstor.org/stable/1124155)〕

*6:訳注:若干くどく直訳しすぎた感もあるが、原文は« L'amour homosexuel, idéalisé et construit sur une base d'égalité entre les deux aimées, ... »。

*7:訳注:三原山の事故は検索をかければ多くの情報が出てくる。「1933年1月9日と2月12日に実践女学校の生徒が噴火口へ投身自殺。2件とも同じ同級生が自殺に立ち会っていたことがセンセーショナルに報道され、この年だけで129人が投身自殺した」( https://ja.wikipedia.org/wiki/三原山 より)

*8:原注3:吉屋信子に関する一部の情報は、以下の記事に拠っている。Dollase, Hiromi Tsuchiya, « Early twentieth century Japanese girls' magazine Stories: Examining Shojo voice in Hanamonogatari (Flower Tales) », Journal of Popular Culture, volume 34, n° 4, 2003.

*9:訳注:原文では« Jusqu'à ce que… »でこの章は終わっており、次の章の見出しの« La renaissance mélodramatique du phénix »につながるかたちになっている