cartaphilium

La prière la plus solitaire est ainsi la plus solidaire des autres.

[全訳]デリダ「人間科学の言説における構造、記号、遊び」 ディスカッション

凡例

一、原文でイタリックで強調されている語には傍点を付した。

一、原語を示す場合には、()で括った。

一、原文に[]で補足されている内容については〔〕で訳出した。ただし、補足内容がたんにフランス語訳である場合には、そのまま()で括った。

一、訳注は末尾にまとめているが、一部本文中に〔※訳注:〕の形で挿入した。

 

 

 ジャン・イポリット:称賛すべきプレゼンテーションと議論を披露してくださったデリダに、率直に、プレゼンテーションの技術的な出発点がまさに何であったのかの説明をお聞きしたく思います。それは、構造の中心の概念への問い、すなわち中心とは何を意味するのかという問いです。たとえば、ある代数的な構造物〔の全体〕の構造を取り上げたとき、その中心はどこにあるのでしょうか?

 中心というのは、私たちが諸要素の相互作用を理解することを曲がりなりにも可能にするような、一般的な諸規則についての知識なのでしょうか? それとも、全体のなかで、ある特権を享受している特定の要素が中心なのでしょうか? 思うに、私の疑問は、中心を抜きにして人は構造について考えることができないということ、そしてその中心自身は「解体されている(destructured*1)」ことと関連しています。違いますか? 中心は構造化(structured)されてはいないのです。人間の科学(sciences of man)を研究するにあたって、私たちが自然科学から学ぶべきことはたくさんあります。それらは、私たちが次々に自分自身に投げかけるさまざまな問題のイメージのようなものです。たとえば、アインシュタインとともに、私たちはある種の経験的証拠の終焉を見ます。そして、それに関連して、時空の組み合わせである定数の登場も目撃します。これは、経験を生きる実験者のいずれにも属していませんが、ある意味で、構成全体を支配しています。そしてこの定数の概念――これが中心なのでしょうか? しかし、自然科学はさらに進んでいます。もはや定数を探すのではありません。何らかの起こりそうもない出来事があって、それがしばらくの間、構造と不変性をもたらすと考えているのです。それは、すべての出来事はあたかもある種の突然変異のように、いかなる作者や人の手にも依らず、手書き原稿の読み違え(the poor reading of a manuscript)のように、構造の欠陥として〔のみ〕実現されるということ、単に突然変異として存在するということでしょうか? このようなことなのでしょうか? それは、起こりそうもないハプニングによって偶然生み出される遺伝子型のような性質の問題なのでしょうか? ひと続きの化学分子が絡み合って特定の仕方で組織化し、具現化されるものとしてのひとつの遺伝子型をつくりだし、そしてその遺伝子型の起源は突然変異のうちに失われている、そうしたひとつの接合*2のような性質の構造の問いなのでしょうか? それがあなたが向かおうとしているものなのでしょうか? なぜなら、私自身、その方向に進んでいると感じており、歴史的なもの(the historic)の統合の実例を――私たちがある種の歴史の終焉について語っているときでさえ――そこに見いだしているからです。構造の具体化のまさに中心にあるということがありえない限り、出来事(、、、)という形式のもとで、まさに、もはや終末論的歴史とは何の関係もないこの歴史は、起源が絶え間なく置き換えられるために、それ自身の探究においてつねに自らを失っているのです。そしてご存知のように、私たちが今日話している言語、言語活動(ランガージュ)という意味ですが*3、それは遺伝子型について、そして情報理論について語られているのです。

 自然が、突然変異を実現してきただけでなく、永続的な突然変異体たる人類をも実現すると考える一種の自然哲学に照らして、この意味抜きの記号(this sign without sense)、この永続的な後退を理解することができるでしょうか? つまり、ある種の伝達の誤りや奇形が、つねに奇形であってその適応が絶え間ない逸脱であるような存在を生み出したのであり、また、人類の問題は、あなたがやりたいこと、あなたが今現在進行中のことのはるかに大きな領域の一部になるでしょう。つまり、中心の喪失――特権的であったり、起源であるような構造がないという事実――は、人間が元の場所に返されるだろうまさにこの形式の下に見ることができるのでしょう。これがあなたが言いたかったことでしょうか、それとも何か他のことを言おうとしていたのでしょうか? これが最後の質問になります。長々と話してしまったことを謝罪します。

 

 ジャック・デリダ:あなたの発言の最後の部分について、私は完全に同意すると言えます――しかし、あなたは質問をしていましたね。私は自分がどこへ向かっているのか、自分でもよく不思議に思っていたのです。ですから、まず、正確に言えば、自分がどこに向かっているのか、もはやわからなくなるような地点に私自身を置こうとしているのだ、と答えることにします。そして、この中心の喪失について、もはや中心の喪失による悲劇ではなくなるような「非-中心」という考えに近づくことを私は拒否します(、、、、、)――この悲しみは古典的なものです。そして、私はこの中心の喪失が肯定されるような考えに近づこうと考えた、ということを言いたいわけでもありません。

 あなたがおっしゃったこと、自然の産物における人間の性質や状況については、私たちはすでに一緒に議論してきたと思います。私はあなたの表現したこの不公平(partiality)を、あなたとともに完全に引き受けようと思います――あなたの言葉〔の選択〕を除いて。そしてここでは、つねにそうであるように、言葉はたんなる言葉以上のものです。つまり、私は明瞭な代替案を提供する準備はしていませんが、あなたの明瞭な定式化を受け入れることもできないのです。ですから、私が自身がどこへ向かっているのかを知らないものとして、私たちが使っている言葉が私を満足させるものではないものとしたうえで、これらの留保を念頭に置いて、あなたに全面的に同意します。

 ご質問の最初の部分についてですが、アインシュタイン定数は定数ではなく、中心でもありません。それはまさに変動性の概念であり――最終的にはゲームの概念なのです。言い換えれば、それは何もの(、、)かについての概念、つまり観測者がその場を支配できるような中心の概念なのではなく、しかし結局のところ、私が念入りに組み立てようとしていたゲームの概念そのものなのです。

 

 イポリット:それはゲームにおけるひとつの定数(a constant in the game)なのでしょうか?

 

 デリダ:それは定冠詞付きの(、、、、、、)ゲームの定数(the constant of the game)です......

 

 イポリット:定冠詞付きのゲームのルール。

 

 デリダ:それはゲームを統治する(govern)ことのないゲームのルールであり、ゲームを支配する(dominate)ことのないゲームのルールです。いまではゲームのルールはゲームそれ自体によって置き換えられており、そのとき私たちはルール(、、、)という言葉以外のものを見つけなければなりません。代数学に関係することで言えば、たとえば、有効数字のグループや、お望みなら記号のグループといったものが中心を奪われている例だと思います。しかし、代数学はふたつの観点から考えることができます。一方では、これまで述べてきたような、絶対的に脱-中心化されたゲームの実例あるいは相似物として。そしてもう一方として、私たちは代数学フッサール的な意味での生産物として、つまり、歴史や、生活世界(Lebenswelt)や、主体などから始まって、そのイデア的対象を構成し、創造する、そうしたイデア的対象の限定された場として考えることができ、その結果として私たちは、そのなかに、一見失われて見える意味をもつものが派生している起源を再活性化させることで、つねに代替物をつくることができるはずなのです。思うに、代数学はこのような仕方で古典的な思考だったのでしょう。そうでなければ、ゲームのイメージとして考えることもできるかもしれません。あるいは、私たちが主体や人、歴史と呼ぶような活動によって生み出されるイデア的対象の場として代数学を考えることで、古典的な思考の場に代数学の可能性を取り戻すか、はたまた、代数学を徹頭徹尾に代数的な世界を映し出す不穏な鏡として考えるか、ということです。

 

 イポリット:そのとき構造とは何でしょうか? もし、もはや代数学の例がつかえなくなったとしたら、中心がどこにあるのかを見るために、どうやって構造を定義するのですか?

 

 デリダ:構造という概念それ自体が――これは余談ですが――もはやゲームを記述するのに十分なものではないのです。どのように構造を定義するのか? 構造は中心にあるべきでしょう。しかしこの中心は、古典的にそうであったように、創造主や存在、あるいは固定された自然な場所のように考えることもできれば、あるいは、たとえばひとつの欠如として考えることもでき、「機械の遊び(jeu dans la machine)」や「コイン遊び(jeu des pieces)」と語られる意味での「遊び」*4を可能にするような何かであり、そしてそれは受け取り——これが私たちが歴史と呼ぶものですが——を行います。一連の決定や、この欠如から始めなければシニフィアンになることのできない、最終的にはシニフィエを持たない一連のシニフィアンを受け取るのです。ですから、私が述べたことは、たしかに構造主義に対する批判として理解することができると思います。

 

 リチャード・マクシー:あなたの暫定的なゲーム理論に代表される形而上学批判で、あなたのチームに参加できるプレイヤーを時期尚早に特定しようとした私はオフサイド(hors jeu)をしていたかもしれません。しかしながら、あなたとニーチェが私たちに熟考を促すこの恐ろしい展望を、ふたりの現代の人物が見るかもしれないという共鳴に、私は心を打たれたのです。私はいま、一人目として、ハイデガーとのあいだに独特の逆説的な関係を持っている「改革派の」現象学者であるオイゲン・フィンク*5の晩年の経歴について考えています。クレーフェルトやロワイヨモンでのコロキウムの時点で、かれはすでに、「存在(Sein)」、「真理(Wahrheit)」、「世界(Welt)」を、単一で根本的な問題の還元不可能な部分であるとみなすために、概念的世界の二次的な地位を主張する用意があったのです。たしかに、かれの『事前問答(Vor-Fragen*6』やニーチェの本*7の最終章で、かれはツァラトゥストラ的なゲーム(、、、)の概念を、哲学の外側(あるいは背後)への一歩として進めています。かれのニーチェハイデガーニーチェを比較するのは興味深いですよ。ハイデガーが「存在(Sein)」を「存在者(Seiendes)」より優位においているのを逆転させるかれの議論が、それによって私たちの発表したトピック、「人間(、、)科学(les sciences humaines)」のポスト・ヒューマニズム批判に興味深い結果をもたらすことに、あなたも同意していただけるのではないかと思います。たしかに、『遊びー世界の象徴として(Spiel als Weltsymbol)』において、統括する「ワールドゲーム」は、プラトン的な存在(being)と仮象(appearance)の区分以前にあり、人間的、個人的な中心を奪われている、非常に前にあって匿名的なものなのです。

 もうひとりは、「満場一致の(、、、、、)夜」〔※訳注:という表現*8〕において、かれのフィクションの詩学の中心をナラティブのゲームに移行させたあの作家、迷宮の建築家かつ囚人、ピエール・メナールの生みの親。

 

 デリダ:きっとあなたは、ホルヘ・ルイス・ボルヘスについて考えているのでしょう。

 

 シャルル・モラゼ:一言だけ。言語以外の文法の可能性についてのレヴィ=ストロースとの過去20年にわたる対話に関してですが――私はレヴィ=ストロースが神話の文法秩序について行ったことに大いに敬服しています。私は、同様に出来事の文法も存在するということを――ひとは出来事の文法をつくることができるということを――指摘したく思います。それは確立することがより困難なものです。私たちは今後数ヶ月、数年のうちに、この文法、というよりもこの一連の出来事の文法が、どのように構成できるのかを学び始めると思います。そして〔この文法は〕、私の個人的な経験によればですが、あなたが示したものよりも少し悲観的ではない帰結をもたらすでしょう。

 

 リュシアン・ゴルドマン:私がいいたいのは、私はデリダの結論には同意できませんが、かれがフランスの文化生活に触媒的な役割を果たしていることがわかり、それゆえにかれに敬意を表するということです。私はかつて、かれは私の、1934年にフランスに来たときの記憶を思い出させてくれると言ったことがあります。当時、学生たちのあいだでは非常に強力な王党派運動があり、突然、同じように王党派を擁護するグループが現れたのですが、それは本物のメロヴィング朝の王を要求していたのです!

 主体あるいは中心を否定するこの運動、言ってみれば、デリダが見事に定義したこの運動において、かれはこの立場を代表するすべての人びとにこう言っているのです。「しかしあなたは自分自身と矛盾していて、けっして最後までやる遂げることはありません。最後に、神話を批判するさいに、もしあなたが批評家の立場、存在、そして何かを言う必要性を否定するのなら、あなたは自分自身と矛盾しているのです。なぜなら、いまだにあなたは何かを言っているM. レヴィ=ストロースなのですから。そしてもし、あなたが新しい神話を作るのであれば……*9

 ええ、批判は卓越したものでしたから、改めて取り上げる必要はないでしょう。しかし、もし私が、テクストに加えられた破壊的な(destructive)性質を持ついくつかの単語に注目したならば、私たちはそれを記号論のレベルで議論することができるでしょう。しかし、私はデリダに質問したいと思います。非合理主義者から形式主義者まで、現代のあらゆる潮流が志向する一連の仮定に基づいて議論するのではなく、あなたの目の前にはまったく異なる立場、たとえば弁証法的な立場があると仮定してみましょう。簡単に言えば、科学は人間がつくるものであり、歴史は誤りではなく、あなたが神学と呼ぶものは許容可能なものであり、世界は秩序だっているとか、神学的であるとか言うのではなく、人間は最終的にどこかの時点でその意味に抵抗するだろう言葉に意味を与える可能性に賭けているものであると考えるのです。そして、あなたの言う典型的な二分法の状態の前にあるものの起源や基本的なもの(あるいはグラマトロジー*10においては、意味が存在する前に登録する行為)は、今日私たちが研究しているものですが、私たちは内部から突き抜ける(penetrate)ことはできませんし、そうしたいとも思いません。というのも、沈黙のうちでしか内部から突き抜けることはできないからです。私たちが自分たちが練り上げた論理にしたがって理解しようとし、どうにかしてさらに前進しようとするとき、それは神などによって隠された意味を発見するためではなく、人間の役割として世界に意味を与えるためなのです(さらに、人間がどこから来たのかを知らずに、私たちは完全に無矛盾になることはできません。というのも、もし質問が明確であれば、知ってのとおり、もし人間は神から来たと言えば、誰かが「神はどこから来るのか」と尋ねるでしょう。そして、もし人間は自然から来たのだ、と言えば、誰かが「自然はどこから来るのか」と尋ねるでしょう。などなど。)。しかし私たちは内部にいて、このような状況にあるのです。では、あなたの前にあるこの立場は、やはり矛盾しているのでしょうか。

 

 ヤン・コット:かつて、マラルメのこの有名なフレーズは非常に意味深いものに見えました。「賽の一振りは決して偶然を廃することはないだろう。("Un coup de dés n'abolira jamais le hasard.")*11」 あなたが私たちに与えてくれたこの講義の後で、こう言うことが可能ではないでしょうか。「そして偶然も決して賽の一振りを廃することはないだろう!("Et le hasard n'abolira jamais le coup de dés."*12)」

 

 デリダ:コット氏には、即座に「はい」と答えます。ゴルドマン氏が私に言ったことについては、私が言ったことのなかで、かれが破壊的と呼ぶ側面を切り取っているように感じます。しかしながら、私は、私が言ったことのなかには破壊的な意味を持つものはなかったという事実を、かなり明白に述べたと思います。私はそこここで脱構築(、、、)déconstruction)という言葉を使いましたが、これは破壊(destruction)とはなんの関係もありません。つまり、脱構築はたんに(そしてこれ(is simply a question of)が古典的な意味での批評に必要なことですが)、私たちが使っている言語の含意や歴史的な沈殿作用に注意を喚起することなのです――そしてそれは、破壊ではありません。私は古典的な意味での科学的な仕事の必要性を信じていますし、現在行われているすべてのこと、さらにはあなたの行っていることの必要性をも信じています。しかし、科学、人類、進歩、意味の起源といったものを不毛化する危険性があるという口実で、私やほかの誰かが、批評的な仕事の急進性を放棄しなければならない理由がわかりません。私は、不毛と不毛化のリスクはつねに明晰さの代償であると信じています。最初のアネクドートについて、私はかなり悪く捉えています。なぜなら、それは私を超王党派(ultraroyalist)、つまり少し前に私の母国で言われたように「ウルトラ」と定義するものですが、しかしながら私は自分のしていることについて、はるかに謙虚で、控えめで、古典的な概念で捉えているからです。

 モリゼ氏の言及した出来事の文法についてですが、私は出来事の文法が何であるかを知らないので、かれの質問に戻らなければなりません。

 

 セルジュ・ドゥブロフスキー:あなたはいつも非-中心(、 、、)について話しています。どのようにすれば、あなた自身の視点で、知覚とは何なのかの説明をしたり、あるいは少なくとも理解したりすることができるのでしょうか。というのも、知覚とは、まさに私に中心化されて(、、、、、、)世界が現れる方法だからです。そしてあなたは言語を平らなもの、あるいは水平なものとして表現していますが、現在、言語はまた別のものです。メルロ=ポンティが言ったように、それは身体的な志向性(intentionality)なのです。そしてこの言語の使用から出発すると、言語の意図(intention)がある限りにおいて、私は不可避的に、ふたたびある中心に行きつくのです。というのも、話すのは「だれか(”One”)」ではなくて「私(”I”)」だからです。そして、たとえその「私」を削減したとしても、ふたたび志向性の概念に行き着かざるをえないでしょう。思うに、この概念は思考の根底にあるもので、そのうえ、あなたはそれを否定していません。したがって、あなたはそれを自身の現在の試みとどのように調和させているのか、お尋ねします。

 

 デリダ:まず第一に、私は中心がないとは、中心がなくてもやっていけるとは言っていません。私は、中心とは機能だと信じています。ひとつの存在――ひとつの現実(reality)ではなく、ひとつの機能だと。そしてこの機能は、絶対的になくてはならないものです。主体は絶対的に必要不可欠なものです。私は主体を破壊することはありません。位置づけるのです。つまり、私は、経験においても、また哲学的および科学的言説においても、特定の段階においては、主体の概念なしには成り立たないと信じています。主体はどこから来て、どのように機能するのかということが問題なのです。だからこそ、私は、必要不可欠だと説明した中心という概念も、同様に主体という概念も、そしてあなたが言及された概念体系全体も保持しています。

 志向性について言及されたので、率直に、志向性の運動を創設しようとしている人たちを見てみようと思います――それは志向性という言葉では捉えることのできないものです。知覚については、私はかつて必要な保全だと認識していたと言っておかなければならないでしょう。私はきわめて保守的でした。いま、私は知覚が何であるか知りませんし、知覚が存在するなどとはまったく信じていません。知覚とは、まさに概念です。直観の概念あるいは物自体に由来する所与の概念であって、言語や参照系からは独立して、それ自身の意味のなかで現れるものです。そして私は、知覚は起源や中心の概念と相互依存の関係にあり、その帰結として、私がこれまで話してきた形而上学に打撃を与える内容は、まさに知覚の概念をも打撃すると考えています。私は、知覚というものがあるとは少しも信じていません。

 

 

 

蛇足(訳者解説......のようなもの)

 この文章は、デリダが1966年にジョンズ・ホプキンズ大学で行った講演「人間科学の言説における構造、記号、遊び」のディスカッション(質疑応答)部分の全訳である。「人間科学の言説における構造、記号、遊び」自体は『エクリチュールと差異』に収録されているため、邦訳も豊富にある(喜ばしいことに、今年改訳版も出た)。しかしながら、このディスカッション部分については邦訳はいままで存在しなかった。

 もともとデリダの発表は「批評の言語と人間科学("The Language of Criticism and the Sciences of Man")」と題された学会の一部分で、The Structualist Controversy, Ed. Richard Marksey and Eugenio Donato, The Johns Hopkins Press University Press, 1970 にはすべての発表が収録されている(もちろんこのディスカッションも収録されている。ネットで調べればpdfが出てきてしまうので、誤訳を見つけて鬼の首を取ったように指摘してほしい)。

 この学会には当時まだ無名だったデリダ*13のほか、ジラール、ド・マン、ラカン、バルト、イポリット......といった錚々たるメンバーが参加しているが、そこで行ったデリダのこの講演「構造、記号、遊び」――ソシュールからレヴィ=ストロースまでの構造主義への大々的な批判、新たに提出した諸概念――のインパクトによって、ここからポスト構造主義が始まったとされる、というようなことは有名な話である*14

 しかしながらこのインパクトは同時にデリダの意図を離れた影響をもたらしていた。たとえば、脱構築は主体を否定するもので、文脈を離れた自由な戯れしかもはや存在せず、すべての議論は無限後退に追いやられていってしまうというような、浅薄なデリダ理解がそれである。

 本文をお読みいただければわかるように、デリダはこの初期も初期の発表のなかで、同様の疑問をぶつけられ、明確にそれを否定している。

主体は絶対的に必要不可欠なものです。私は主体を破壊することはありません。(...)主体はどこから来て、どのように機能するのかということが問題なのです。」

 ポスト構造主義者と呼ばれる原因をつくったその講演のうちに、ポスト構造主義者としてのちに論駁されることになる批判の大半について否定しているわけだ。つまり、いわば最速で「置き論破」みたいなことをしているわけだけれど、それにもかかわらず、死後に至るまで、主体を否定しているだとか、相対主義者だとか言われてきたわけである。かわいそう。

 このディスカッションでこうしたやりとりがされていることは、わりとデリダ研究者などのあいだでは有名な話らしいのだが、私は2年近く前に初めて聞いた。私がデリダについて学び始めてすぐの時期だったから知らなかっただけかもしれないが、いまでも日本語の文献では言及のあるものはほとんど見たことがない*15。その意味でこの翻訳は、デリダの研究が初期の段階からどのような意図のもとで行われていたのかを、日本の読者が知る一助となってくれるのではないかと思う。

 しかしながら、日本の研究者によるデリダについての丁寧な研究も増えてきた現在、化石みたいなこの文章を翻訳する意味はあったのか? というとなかなか答えに窮するところはある。たいていのディスカッションにつきもののように、だいたいの発言は放言といっていい気がする(オイゲン・フィンクもボルヘスも、ポスト構造主義者として活躍したという話は聞いたことがないし、マラルメを引用したくて仕方ないだけのひともいる)し、どこかしら、だれもが浮かれて発言している感じがある。

 ただ、だからこそ、とも言えるだろう。いまでは過去のテクストとして、「古典」にすらなってしまった「エクリチュール」も、まさに「話された」その当時には、聞いたひとたちがそれぞれの文脈のなかで理解し、感服し、ここから始まるかもしれない未来を思い描いた。ここには、たんに過去のものとしてテクストを読解するときにはけっしてたどりつくことのできない景色がある。熱量がある。外れた未来予想、言及されたもののその後書かれることのなかった題材、個人の思い出と重ねあわせて語られる質問。すべてが、けっしてひとつの方向を向いてはいない。ただテクストを一義的な存在として解釈しようとすることから遠く離れて、その豊穣な可能性に、未来からは選ばれなかった可能性に目を向けるとき、そのテクストの本来の多義性がたち現れてくるのかもしれない。

*1:デリダの「脱構築(déconstruction)」がハイデガーの「解体(destruktion)」)に由来していることは有名だが、ここでのイポリットはたんに「破壊されている」という意味合いで使っているかもしれない。

*2:meeting。meetはもちろん一般的な動詞だが、ここではおそらく生物学的な意味合いでつかわれている。

*3:原文では"à propos of language"とあるが、à proposと言っておいて"language"と英語なのは不自然に思われる。ソシュール的な意味合いに目配せして« à propos de langage »という意味合いで使ったと捉え、上のように訳した。

*4:原文では“free-play”。これは英語版Wikipediaには専用の記事も存在する(https://en.wikipedia.org/wiki/Free_play_(Derrida)デリダテクニカルタームだが、日本語では定訳はない(はず)。ここでは『エクリチュールと差異〈改訳版〉』の表記に準拠して、たんに「遊び」と訳した。

*5:どうしてカトリックに出自をもつオイゲン・フィンクに対して”reformed”という言葉をつかっているのかは不明。

*6:フィンクの"Sein, Wahrheit, Welt": Vor-Fragen Zum Problem Des Phaenomen Begriffs(『「存在、真理、世界」――現象概念の問題をめぐる事前問答(未邦訳)』)のこと。

*7:同じくフィンクのNietzsches Philosophie(邦訳『ニーチェ全集 別巻ニーチェの哲学』)のこと。

*8:ボルヘスが短篇「円環の廃墟」の冒頭で使用した表現(“Nadie lo vio desembarcar en la unánime noche [...]” 「満場一致の夜に船を降りたかれを見たものは誰もなく(...)」)のこと。「夜(noche)」を修飾する単語として”unánime(満場一致の)”を選んだ点で、かれを讃える多くのひとや多くの論文を生み出した、らしい。たとえば以下の記事によれば、「ホルヘ・ルイス・ボルヘスは短編「円環の廃墟」のなかで、かれの文学的天才性の金字塔としてしばしば引き合いに出される一文を書いた。」https://www.elespectador.com/opinion/columnistas/j-d-torres-duarte/la-unanime-noche-una-teoria-sobre-borges/#

 ちなみに、鼓直訳の岩波版では「闇夜に岸に上がった彼を見かけた者はなく」と、翻訳を諦めている(『伝奇集』p.71)。

*9:”because you are still M. Levi-Strauss who says something and if you make a new mythology. . . .” よくわからない。

*10:この講演はデリダが『グラマトロジーについて』を1967年に出版する前年、1966年に行われたものである。ただ、『グラマトロジーについて』の第一部は1965年に発表されている。

*11:日本では「骰子一擲」の名前でも有名。デリダも好んで引き合いに出す詩。

*12:square bracketsで追記されたフランス語では「!」が削除されている。興奮した口調のコットがたしなめられているかのようでかわいそう。

*13:もともとデリダはこの講演に、ベルギーの人類学者であるリュック・ド・ウーシュの欠席の代打として急遽呼ばれたに過ぎなかった、という話もある。 https://hub.jhu.edu/magazine/2012/fall/structuralisms-samson/

*14:デリダが評価され大々的に受容されたのはフランスよりもむしろアメリカが先(その次に日本といった具合)で、それも主にテクスト批評の一手法として理解された脱構築だった、というようなこれまた有名な話も、この講演がアメリカで行われたことと無関係ではない。当時の需要などについては、たとえば巽孝之「危機の現代批評 : アメリカ解体派について」が詳しい。 https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=BN01735019-00000003-0207

*15:英語の文献でなら、たとえば以下などでディスカッションについても言及されている。Tim Smith-Laing, An Analysis of Jacques Derrida's Structure, Sign, and Play in the Discourse of the Human Sciences https://www.amazon.co.jp/Jacques-Derridas-Structure-Discourse-Science/dp/1912453525