以下の非常に面白いラビットホールの歌詞解釈を読んだので歌詞とMVを見返していたところ、まったく別の解釈が浮かび上がってきた。
noteのコメント欄に書かせていただこうと思ったものの500字の文字制限を知らなかったので投稿できず、こっちに書くことにします。
以下の記事の前編と中編は読んでいる前提で話は進めます。
まず、別解に進むにあたって𝑎𝑖𝑛𝑖𝑔𝑚𝑎さんのnoteにおける英詞解釈を2点修正する必要があります。
・「淋しくなったら誰でもいいじゃん 埋まればいいじゃん」にあたる"If you get lonely, find anybody, just get lucky"のyouを「youだから男性(ミクの語り相手)を指してる」とされていますが、日本語歌詞原文のように、特に話者自身のことを一般化して語るときは、英語では基本的にyouを使います(Iは使いません)。
つまり、ここで使われているyouはnot like super-duper specialなyouではなく一般論としてのyou(=anyone)であって、実質的にはミク自身を指していると捉えたほうが次の文との関係としても自然なように思います。
・「こちとらフラフラやってんのん」にあたる"so I’m just smashin’ over here"について、「だからここでぶっ飛んでるだけ」と訳されてますが、smashは非常に一般的なスラングとして、直截的に性行為を指す言葉でもあります。
そのため英訳は、原文の「フラフラやってんのん」を「フラフラしている」ではなく「フラフラ(こだわりなく)」と「やってる」に分解して、後者だけを考えうる限り一番直截的な訳し方で訳出している、と捉えたほうが適切ではないかと思います。
「ぶっ飛ぶ」というよりは性的・刹那的・退廃的な響きをあえて意図的に付与していると読むほうが自然かなと。
性にある種奔放なイメージとあらゆる人間に所有されうる存在であることのアナロジーは、𝑎𝑖𝑛𝑖𝑔𝑚𝑎さんのnoteの中編で語られているラビットホールの裏テーマにも即しているので、より解釈には沿った形になるのかなと思いますが、いかがでしょうか......
と、ここまでは𝑎𝑖𝑛𝑖𝑔𝑚𝑎さんのnoteの解釈に沿った形での歌詞の再検討を行いましたが、私が提出したいのはまったくの別解になります。
別解(この記事の本論)
ここで、𝑎𝑖𝑛𝑖𝑔𝑚𝑎さんのnoteでは「MVの描写は無視します」と、ラビットホールのMVの描写をあえて無視したことを思い出しましょう。「こちとらフラフラやってんのん、OK?」の直後の「はーい(※英訳では"Roger that!")」という歌詞が、MVではミクから出たフキダシで描かれ、ミクが発話したことになっています。𝑎𝑖𝑛𝑖𝑔𝑚𝑎さんの論では「はーい」はDECO*27さんの言葉ということになりますから、これが画としてミクから発せられていることは矛盾する、という理屈だと私は理解しました。
しかし、MVでミクが「はーい」と言っていることについては、もっと重要な問題があります。そもそもMV中ではこの「はーい」だけがミクの口から発せられていて、歌詞としても、この「はーい」だけが鍵括弧で括られているということです。これを意識するとまったく別の解釈も可能なように思います。
それは、主従は逆でもいいのではないか、つまり、「はーい」以外はDECO*27さんからミクへの言葉だという解釈が可能なのではないかということです。
そもそも歌詞はすべて音としてミクに発話させている上、DECO*27さんは基本的に曲中の掛け声や自身の心情もボカロの口から語らせます。この曲が取り立ててミク目線の曲だと限定する必要はありません。
また、「悪い子さん」が英訳では"Little Miss Naughty"と独身女性を指していることを鑑みれば、ミクとDECO*27さんの関係において独身女性は当然ミクの方なわけで、この逆転はむしろより自然な解釈になると言えるのではないでしょうか。
その場合この歌詞は「ときには他の人のところでポップで純情なラブソングを歌ったり、他人のMV中でBADなダンスを踊ったりしてるけど、本当のところは自分(DECO*27さん)を愛して嫉妬すらしているミク*1」を幻視したうえで、そのミクに突き放すようなことをいいつつ突き放せないDECO*27さん、それに対して「はーい」という肯定を繰り返す初音ミク、という構図になります。
ボーカロイドという性質上複数の関係を持っていたのはミクさんもそうですが、一時期GUMI等に気移りしていたDECO*27さんも同様であって(「おあいこじゃん*2」)、それでも(𝑎𝑖𝑛𝑖𝑔𝑚𝑎さんの言葉を借りれば)「複数の関係を持ちながら本命は君である」のテーマを、自分とミクとの関係というラビットホールをもっと愛そう(love this rabbit hole more and more)とミクに言うことで果たしている曲だ、という解釈が可能になるのです。
そうすると「厭厭愛して死にたくなって(Fell in love with a meh and felt like dyin’)」のmeh(どうでもいい奴)はGUMI等のDECO*27さんが黒歴史として扱っているボカロのことになりますし、"so I’m just smashin’ over here, OK?"は、結果的に自己嫌悪のような感情から、やっぱりミクしかいないとほかのボカロからミクに戻ってきて、ミクにこんな曲を歌わせ(約1億再生もの面前(over here)で実質的にsmashして)、「はーい」とミクに同意の言葉を言わせているボカロPとボーカロイドのかなり私的な相思相愛ソング.....とも受け取れます。
いささか過激な解釈にはなりますが、𝑎𝑖𝑛𝑖𝑔𝑚𝑎さんの記事にも引用されているプロフェッショナルでの発言にあるような「どこかよそのボカロPの家に行って歌っているみたいなのを考えたくない」という発言からも、また彼の作風からしても十分考えられなくはないのではないでしょうか。この解釈で初めてLittle Miss Naughtyが理解できますし、ここにはただセクシュアルな歌詞をボーカロイドに歌わせるという次元ではない、「誰が誰を操作しているのか?」という支配と従属の構図に自覚的であるというメタ的な次元が開かれています*3。
追記:この解釈の前提を共有したうえでさらに捻くれた解釈をすれば、ミクが「はーい」としか言わないのは、曲中ずっと並々ならぬ想いやら建前やら複雑な心情やらを独白し続けるDECO*27さんに対して、ミクはずっと醒めた態度で適当な相槌を打っている、と考えることもできる。「醒めたミク」「建前と執着にまみれたDECO*27さん」という構図である。そうすると、(smashは他動詞なので必然的にミクはその関係に巻き込まれていることになってしまうものの)ミクは自発的に応じているわけではなく、皮肉や冷笑混じりの「はーい」でしかない、という欲望が上滑りしている曲だということになる。私たちはDECO*27さんの築き上げた相思相愛の世界を見せられているのではなく、DECO*27さんが自覚的自虐的に描いた世界を見せられているという格好だ。その場合、歌詞の最後の「だっせ」(英訳だとSo Corny)は、鉤括弧で括られていない歌詞であることを踏まえればDECO*27さんの自嘲的な言葉であって、上滑りする欲望に対して自覚的にダサいと切り捨てている、と理解できるようになる。
*1:このミク像を踏まえると、「お純情様(Little Miss Devotion)」のDevotion(無私の献身)も、ボーカロイドがマスターの言いつけに純情に従うだけの存在であることを皮肉に語ってるように響く。
*2:日本語歌詞では「お愛顧」だが、「ご愛顧」ではなく「おあいこ」といっている言葉の響きを文字通りとれば、じゃんけんでいう「あいこ」を文字っているととるのが自然だろう。実際、英語歌詞ではwe're even-stevenと「あいこ」の意味で訳されている
*3:ただこの解釈の場合、歌詞中の「死ぬまで」は文字通りの意味ではなく、比喩として「一生ずっと」という意味になるだろう。初音ミクさんは死なないので。