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La prière la plus solitaire est ainsi la plus solidaire des autres.

セルトー『日常的実践のポイエティーク』の注釈と研究

参考文献たち

この文章について

 本稿はわたしの学位論文「抵抗する「使用」——セルトーの〈散種〉 ミシェル・ド・セルトー『日常生活の創発性』をめぐって」の第一部(と第二部冒頭)の部分掲載です。全文はBOOTHにあります。

 第一部は「はじめに」とあわせて1.8万字くらいありますがあくまで序論で、第二部と第三部が本論になっています(全体で5万字程度です)。とはいえ、第一部は『日常的実践のポイエティーク』の簡単な解説(かなり突っ込んだ議論はしていますが)になっており、これ単体でも読解のさいの助けになるのではと思います(『日常的実践のポイエティーク』を詳細に読解した文献さえ、現状数えるほどしかありませんので)。

 『日常的実践のポイエティーク』は去年復刊されましたが、まあまともに読まれている気配はないですし、たとえばセルトーの議論をただの楽観論だと断じたり、セルトーのいう「戦術/戦略」をきわめて二項対立的だとするような見方はいまだに根強いように思われます(セルトー研究者のイアン・ブキャナンはこの本を指して「カルチュラル・スタディーズの分野ではよく知られているが、いわば時事的な面白さだけで読まれている*1」と20年前に書いていますが、いまでもたいして変わりはないように思います)。

 セルトーは『日常生活の創発性』(邦訳『日常的実践のポイエティーク』)において、フーコーの言うような規律権力から逃れていく人びとを、さまざまなモチーフを扱いながら描きました。本論では、そうした人びとの戦術に一貫して存在する「使用」を指摘したのち、それがデリダ由来の「散種」という概念に基礎付けられていることを論証します。デリダがテクスト論の文脈から導いた「散種」をセルトーは権力論(都市計画論)に応用していた、という、いままで日英仏のセルトー研究においてわたしの知る限り試みられたことのないアプローチからのセルトー読解になっています。この観点から「散種」の応用可能性を説いたデリダ論もわたしは読んだことがなく、デリダ圏の権力論としても面白い内容になっているのではないかなと思います。

 また、第三部においては、第七章「都市を歩く」の第三節の読解から「無意識における実践」について扱うことで、セルトーの議論をより精緻に再構築することを試みています。同様の試みとしては近森高明氏の「「都市を歩く」再考」がありますが、本稿ではより詳細に読解することで、「意識的な実践に先立つ無意識の領域においても権力システムから逃れていく民衆像」というかれのセルトー理解をさらに刷新する結論を導いています。

 ちなみに、主体の権力に対する抵抗の契機をめぐる議論として、佐藤嘉幸氏の『権力と抵抗』に非常に影響を受けており、扱う題材、扱う思想家はまったく異なりますが、並べて読んでいただければその影響が見てとれるものと思います。(彼はデリダについてもその本のなかで主題のひとつとして扱っていますが、いわゆる歓待論や遅延としての郵便システムなどに焦点が当てられており、「散種」には触れられていなかったと記憶しています。)

 口頭試問で教授方からも望外のお褒めの言葉を頂いたものの、せっかく書いたのにそれで終わりというのも……と思い元々何かで公開することは考えていたのですが、別の機会に教授方に「この論文はぜひどこかに発表した方がいい」と勧められたため、なら尚更、ということで公開することにしました*2

 まあ御宅はさておき、いわゆるフランス現代思想に詳しくなくとも(そもそも哲学系に明るくないひとでも)読めるし面白いと感じられる文章になっている、との評判です。セルトーに興味がない方でも、あるいは哲学科の卒論ってどんな感じなんだろうというような方もぜひお読みいただければ幸いです(わたしは他人の卒論を一枚も読んだことがないので*3少なくともスタンダードではないでしょうが)。以下から本文です。

 

 

 

 

 

 

はじめに

 本稿が試みるのはミシェル・ド・セルトーの『日常生活の創発性』[1]の読解である。1980年にフランス語で出版された同著作は『日常的実践のポイエティーク』の邦題で1987年と比較的早くに邦訳された。長らく絶版になっていたが、今年(2021年)ちくま学芸文庫において復刊され、多少の耳目を集めた。しかし実際のところ、彼の著作は一番有名な『日常生活の創発性』でさえひろく受容されているとは言い難く、その思想的背景についての言及もすくない。セルトーはイエズス会士であり、歴史学者であり、哲学者でもあった。神秘主義研究を終生続け、ラカン精神分析の「パリ・フロイト学派」には設立当初から関わっていた。そうしたセルトーの扱う領域の広さは、彼に「不当な縮減[2]」を強いる結果となっていることが多い。たとえば有名になりすぎた後期の文化分析と前期の宗教史家としての仕事をまったくの無関係なものと見做したり、「宗教的なセルトー」と「世俗的なセルトー」というような分断を設ける見方は、セルトーを読むある種の典型的な態度になっている。翻って日本における数少ないセルトー研究に目を向ければ、彼の宗教的観点を強調しすぎるあまり、結果的に彼の思想家としての側面を閑却しているものも見受けられる。本稿で私たちが主題とするのは、そのどちらでもなく、ひとりの、、、、思想家としてのセルトー、、、、、、、、、、、である[3]。渡辺優は論文「「パロール」とそのゆくえ」において「ひとつのセルトー」像の提示を試みているが、その際宗教的な観点からの読みの必要性を強調し、当該論文の脚注において、山口昌男を筆頭とした日本における旧来の受容の限界[4]を示すにあたってセルトーの比較的マイナーな論文[5]を引用している。

 

おそらく日本で最も早くに彼の仕事に注目したのは文化人類学者の山口昌男だが,セルトーの「異人(エトランジェ)」論の射程を的確に見抜いていた彼も,セルトーのキリスト教論については,その意義は認めつつ,結局のところ「われわれに,この議論につき合う義務はない」と退けている(『知の遠近法』岩波現代文庫,2004年,291頁)。これは,従来のセルトー受容にみられるひとつの典型的な態度なのだが,セルトーを真に「理解」しようとするならば,そこには決定的な限界がある。次の言葉を引用しておけば十分だろう。「私は,私が歴史について行う分析のなかに私の信仰を入り込ませていることを否定することはできないし,私が神学者であるということを忘れたふりをすることもできない」(Michel de Certeau, « Faire de l’histoire. Problème de méthodes et problèmes de sens », in Recherches de science religieuse, t. 58, 1970, p. 515)[6]

 

しかし引用された論文において、その直後にセルトーが付け足している言葉を見逃すべきではないだろう。

 

この関係を隠そうとするどころか、神学者と歴史家の会合の共通の目的は、この関係を明るみに出し、批判し、ひとつの間違いもなく修正することである。(ibid.)

 

ここにあるのは自身の神学的立場と学問的立場を厳しく峻別しようとするセルトーの学者としての学問的誠実さであり、先の文はそこに重点を置いてこそ受け取られるべきだろう。もちろん、その動機においてセルトーを突き動かしていた神的なものといったテーマは、彼自身否定できないかたちでその著作に現れている。彼の使う「他者」や「異者学[hétérologie]」といった言葉の背後に宗教的な含みを読み取ることはたやすい。しかし同時に、彼は学問的研究のなかで自身の宗教的感情をひろげることを潔しとせず、一貫して学者としての姿勢を維持し続けていた。

 

信者である歴史家は、今となっては彼の学問的研究の中に主観的、、、確信をこっそりと滑り込ませることしかできない。[7]

 

 私たちが試みるのは、セルトーのまさにこの学者=思想家としての側面を扱うことである。彼はプラトンからデリダまで、多くの思想家の書物を読み漁り自らの血肉にしていた。彼のなかでそうした思想がどのように息づき、その主著たる『日常生活の創発性』に現れているかを分析することが本稿の目標となる。

 私たちは第一部においてセルトーの『日常生活の創発性』を概観したのち、第二部においては「散種」という概念を皮切りに、セルトーの思想に見られるデリダからの影響を指摘、検討することで、彼の言う「創発性」の根拠を深く探ることを試みる。また第三部では、『日常生活の創発性』を読解する際軽視されがちな、セルトーが描いている無意識における人びとの実践を扱うことで、意識的な実践のみにとどまるものではないセルトーの理論的射程をあきらかにする。

 

 

 

 

  • 第一部『日常生活の創発性』という書物

 

「じっと動かぬ消費者と、動き流通するメディア。人びとに残されているものといえば、ただ、システムがひとりひとりにあてがうシミュラークルの餌を食むことだけであろう。わたしが異議をとなえたいのは、まさしくこのような考えかたなのである。このような消費者像はうけいれがたい」[8]

 『日常生活の創発L’Invention du quotidien [9]』は1980年に初版がペーパーバックで発売された。本書は二巻組であり、第一巻『もののやりかたArt de faire』はセルトーの単著である。第二巻『住むこと、料理することhabiter, cuisiner』はセルトーならびにルース・ジアールとピエール・マイヨールの三人による共著となっており、実際に街で暮らす人びとへのインタビューや論文などが混ざった、いくらか雑多な内容になっている。第二巻と比較すると第一巻は理論編とでも呼べる内容となっており、私たちの読解もこの『もののやりかた』を中心に行われることとなる(便宜上、以後は第一巻『もののやりかた』を『日常生活の創発性』と呼ぶ)。

 セルトーが本書で描こうとしたのはまさに人びとの「もののやりかた」であり、フーコーが精緻に記したような権力モデルのなかで、いかにして民衆がその支配から逃れているかということだった。それは権力への抵抗を可能とする「実践」のアジテーションを行うための理論的基礎づけを行おうとするものではなく、人びとが現に、、行っている日常的な抵抗としての実践(消費、散歩、読書、料理、話すこと[10]といった日々の操作[opération])をなんとか理解しようとする試みだった。テクノクラート的生産者からの生産物をただ享受するだけの受動的な存在と見做されていた消費者が、実際にはそれらを「使用」することで、自分たちのものへと変容させている能動的な側面を取り上げること。本書中でたびたび登場する「実践の理論」ということばは、まさにそうした実践を理解し記述するための理論を指している。したがってセルトーにとって「すべての実践をこの型にはめ込むための一般的なモデルを開発することが問題なのではなく、逆に「操作のシェーマを特定[spécifier des schémas d’opération]」(p.51〔注:邦訳p.108〕)し、それらの間に共通のカテゴリーがあるかどうか、そして、これらのカテゴリーによってすべての実践を説明することができるかどうかを追求することが問題[11]」なのだった。

 私たちはこれから実際に第一部において『日常生活の創発性』を紐解くことで、セルトーの思想をおおづかみに把握することを試みる。しかし、まずはそれに際して、ある難点があることを指摘しなければならない。そのためにもまずは本書の構成を概観しておこう。冒頭に収められた序文、概説、そして巻末に収められた結論部分とでも呼べるだろう「決定不能なもの[Indéterminé]」を除くと、本書は十四章で構成されている。また、それぞれは一から五部に分けられており、それぞれ「ごく普通の文化」「技芸の理論」「空間の実践」「言語の使用」「信じかた」と区分されている。

 これだけ見てもわかるように、本書の扱う対象は非常に多岐にわたっている。またその文章においても、彼の衒学的とも取れるスタンス――ひろく歴史、思想、古典文学、芸術への参照や、理論的文体と入り混じった、ときに文学的にさえ感じられる筆致――は、ただ「体系的な理論」を求めて本書をひらいた読者には困惑を与えるだろうものになっている(特権的な視座から「民衆」に理論を与えるのではなく、ある種パフォーマティヴに彼ら民衆の雑多な視点からそのありかたを描くことに成功している、と一応の統一的視点は確保できるだろうが)。したがって、もし本書を紹介するために、そのすべてに順を追って注釈をつけていく、あるいは要約するようなかたちを取ったとすれば、それは必然的に散漫なものになってしまうだろう。そこで第一部では、セルトーの提示した重要な概念のいくつかを取り出し、いわば「テーマ別」のかたちでそれらを整理し検討することを試みる。前述のとおり、もとより本稿の目的は単一のシェーマに本書を還元、、することではない。その異種混淆的な書き方によって、いわばそれ自体が「決定不能なもの」の様相を帯びている[12]本書に、ある程度見通しのよい読み方を提供することが第一部での目的となる。

 

「使用あるいは消費」

 本書を貫徹するセルトーの姿勢として、受動的なものと見做されてきた消費者が日常的に行っている「製作[fabrication]」[13]を描こうとしている点を挙げることができる。言説に対する分析が世に多く広まっているのに対して、セルトーはそれらの言説が実際に人びとにどのように受容され、使用されているかという観点からの分析が必要だと感じていた。「受動的な消費者」像への懐疑は、彼の文化研究をまとめた本として『日常生活の創発性』の前段階の著作と位置づけられる『複数形の文化』[14]にすでに見ることができる。ここには『日常生活の創発性』をも貫く彼の考えが明確に現れている。

 

[...]こうしたディスクールがそれを読んだり見たり聞いたりする人びとを「表現」していると想定することはもはや不可能である。新聞やテレビ番組をもとに視聴者の意見をひきだしてくる分析は、視聴者が自分自身と娯楽とのあいだに置いている距離を不当に無視しているのだ。視聴者はもはやそこにいはしない、、、、、、、、、、、。かれらはもはやそんなイメージのなかにはいないのであり、イメージのほうが自分の罠にはまってしまっているのである。[15]

 

 また同書にて、セルトーはテクストといった生産物の分析から人びとを論じようとする向き(ここには仮想敵としてもちろんフーコーも入っているだろう)に対して「テクストの意味というものは、このテクストの表面にほどこされる解釈という手続きの成果だということ」を忘れている[16]と、きわめてポスト構造主義的な立場から批判を加え、次のように言っている。

 

読むという行為と書くという行為のあいだに質的区別があると想定するのをやめなければならない。読むという行為は、あるテクストを使うという行為に投入された、沈黙の創造性である。書くほうは、これとおなじ創造性なのだが、ひとつの新しいテクストを生産するという事実のなかにそれが明示されているのだ。文化的活動は、すでに前者に存在しており、エクリチュールのなかにそのヴァリアントと延長が見いだされるにすぎない。いっぽうと他方のあいだにあるのは、受動性と能動性を隔てる相異ではなく、一定の与件にたいし実践が距離をつくりだす際の、その距離を社会的にしめす、、、さまざまなやりかたの相異なのである。このしるしが文学的になり、解釈する操作が洗練された言語で明示されるためには、特殊な教育をうけ、余暇を有し、インテリゲンチャのなかに地位を占め、等々のことが必要となる。差異は社会学、、、、なのである。受動性と能動性の分割をうのみにして繰り返すような真似をするよりも、社会階層の区分に応じて文化的操作がどれほど変化するかを分析したり、どのような方法を採ってこの操作が優遇されるのかを分析したほうが有益だろう。[17]

 

 人びとは「読む」という行為自体のなかですでに創造性を働かせている。「書く」という行為はそのひとつのヴァリアントなのであり、それには教育や余暇などを享受できる社会的身分が必要であるというにすぎない。ここにはセルトーの、一般的な「創作者」の地位にない人びとも日常的に働かせている創造性――「文化的操作」――への関心がある。この「文化的操作」の分析こそ、『日常生活の創発性』に引き継がれた主題である。この「文化的操作」は、「使用」あるいは「消費」といった言葉にも換言される。

 

テレビのながす映像(表象)の分析とか、ひとがテレビの前でじっとして過ごす時間(行動)の分析といったものは、文化の消費者がその時間のあいだ、その映像を相手に何を「製作」しているのか、それをあきらかにする研究によって補完されるべきであろう。都市空間の使用や、スーパーマーケットで買い求めたさまざまな商品、あるいは新聞が広める物語や伝聞の使用にかんしても同様である。[18]

 

拡張主義的で中央集権的な、合理化された生産、騒々しく、見世物的な生産にたいして、もうひとつ、、、、、の生産が呼応している。「消費」と形容されている生産が。[19]

 

 「消費」という生産、この逆説的な表現にセルトーの戦術は現れている。ただ受動的と見做されてきた人びとは、実際には諸々の手続きのなかで創造性を働かせ、各々の生産を行っている。セルトーが『日常生活の創発性』で繰り返し語っているのは、この受動的な民衆像から能動的な民衆像への視線変更である。

 また、セルトーがこの「受動的と思われてきた人びとの能動性」を取り上げるのは、「支配権力とそれに受動的に従うのみの人びと」という図式に対する抵抗でもある。セルトーは、スペインによるインディオへの「成功」した植民地支配がいかに両義的なものだったかを指摘し、「かれらインディオたちは、押しつけられた儀礼行為や法や表象に従い、時にはすすんでそれをうけいれながら、征服者がねらっていたものとは別のものを作りだしていたのだ、、、、、、、、、[20]」と言う。

 

彼らは外面的には「同化」していた植民地化のなかで、他者にとどまっていた。彼らは支配的な秩序を使用することでその力を発揮していたのであり、拒絶する手段を持っていたのではなかった。彼らは支配的な秩序から離れることなく逃れていたのだ。彼らの差異の力は、「消費」という手続きのなかに維持されていたのである。[21]

 

 セルトーはこうした「使用[usage]」あるいは「消費[consommation]」をたびたび「ブリコラージュ」や「密猟」といった言葉でも表現している。それらはすべて人びとの読書すること、話すこと、住むこと、料理すること、街を歩くこと...といった日常的な実践[pratique, praxis]に見いだされる「使用」の創造的な働きであり、この働き、「操作のシェーマ」を理論化することこそが『日常生活の創発性』の行っている試みである。

 

こうした利用の操作を、わたしは使用法、、、〔usages〕と言うことにしたい。[…]それというのもこの語にはもともと両義性があって、この使用法というのには、(軍事的な意味での)「作戦」の意、特定の形式と創意をそなえつつ、蟻にも似た消費作業をひそかに編成してゆくさまざまな作戦の意がこめられているのである。[22]

 

 

「軌跡」

 セルトーはこうした人びとの実践を描くにあたって「軌跡[trajectoire]」という概念に依拠することを試みている。この試みはすぐに取り下げられるのだが、その理由も含めて、ここにはセルトーの基本的な姿勢が非常によく現れている。そのため、かなり長くなるが彼が「軌跡」について考察を広げる一連の文章を引用しておきたい。

 

実践を考察するために、わたしは「軌跡」というカテゴリーに依拠してみた。これなら空間のなかでの時間的な動きを、すなわち移動してゆく点の通時的継起のまとまりを示せるだろうし、これらの点が共時的ないし非時間的なものと想定された場所にえがきだす形状を示すようなことはないはずであった。だが実をいえば、このような「表象」では十分とはいえない。というのも、軌跡はまさに描きだされるからであり、そうして時間なり動きなりが、目で一瞥でき、一瞬のうちに読みとれる一本の線に還元されるからである。街を歩く歩行者のたどる道筋は平面上に描きうつすことができる。このような「平面化」は実に便利なものだが、場所の時間的、、、分節を、点の空間的、、、配列にならべかえてしまう。ひとつのグラフはひとつの操作の平面化である。ある一瞬と「機会」とに結びついてきりはなすことができず、それゆえ非可逆的な(時間はもどらないし、とりのがした機会はもどってこない)実践が、可逆的な(ひとたび表の上に描かれると、どちらからも読める)記号におきかえられてしまう。つまりそれは行為のかわりに、、、、痕跡をおきかえ、パフォーマンスのかわりに遺物をおきかえることだ。それは行為やパフォーマンスの名残りでしかなく、その消滅の記号でしかない。こうした軌跡が前提にしているのは、あるひとつのもの(この一筋の線)をもうひとつの(機会と結びついた操作)ととりかえうるということである。それは、空間の機能主義的管理が効果を発揮するためにおこなう還元作用に典型的な「取り違え」(これなのにあれを)なのだ。[23]

 

以上のように、セルトーは「軌跡」概念がもたらす「平面化」の働きをその欠点として指摘している。軌跡はまさに描きだされるがゆえに、一回限りでそれゆえに唯一で他の何とも代替不可能な実践を、一本の線として「表象[représantation(=代表)]」し、可視化してしまう。ひとつの軌跡として固定され、記号に置き換えられた実践は、それゆえにどちらからも読め、「空間的配列」として把握することができるが、しかしそこには「場所の時間的分節」が失われてしまっている[24]。これがセルトーが軌跡を「取り違え」だとして退ける理由である。

 ここに見られるように、セルトーの実践の理論化の作業は、体系的に記述して理論化することで「実践」を予測可能で均質なものとして安定化させようという視座から行われるものではなく、「実践を実践のままに思考しようとする、より困難な試み」[25]だった。マルサンヌ・ブラマーが言うように、セルトーの実践の理論化は、物質的に(名詞-目的語の用語で)ではなくダイナミックに(動詞の用語で)思考しようとする試みである[26]。さきに見た使用、消費、読書、密猟といった語彙なども、こうしたセルトーの思考から要請されたものだと言えるだろう。

 

 

「戦術」と「戦略」

 セルトーは人びとの実践を描く「軌跡」にかわるモデルとして、軍事用語から借用した「戦略[stratégie]」と「戦術[tactique]」というモデルを提示している。このふたつのタームは本書全体をつらぬく鍵概念にもなっており、セルトーの示した概念のなかでももっともひろく受容、参照された概念でもある。彼は「戦略」を次のように記述している。

 

戦略とは、ある権力の場所(固有の所有地)をそなえ、その公準に助けを借りつつ、さまざまな理論的場(システムや全体主義ディスクール)を築きあげ、その理論的場をとおして、諸力が配分されるもろもろの場所全体を分節化しようとするような作戦のことである。それは、この三つの場所を組み合わせ、たがいどうしが制御し合うようにしてそれらの場所を制御しようとめざす。[27]

 

この固有の(=みずからの)場に根ざした「戦略」に対して、「戦術」は以下のように定義される。

 

わたしが戦術、、とよぶのは、自分のもの〔固有のもの〕をもたないことを特徴とする、計算された行動のことである。ここからが外部と決定できるような境界づけなどまったくできないわけだから、戦術には自立の条件がそなわっていない。戦術にそなわる場所はもっぱら他者の場所だけである。[28]

 

軍事学者のフォン・ビューローのことばを引いて、セルトーは戦術を「敵の視界内での」動きであるとする。ある固有の場所から全体を見わたして判断をくだす戦略に対して、そうした根をもたない非-場所性[non-lieu]の動きである戦術はゲリラ的な、その都度のもの、一回きりのものである。「戦術が手に入れたものは、保存がきかないのである[29]」。そうした戦略と戦術の違いをセルトーは「場所に賭けるか、時間に賭けるか」と整理している。

 

戦略のほうは、時間による消滅にあらがう場所の確立、、、、、に賭けようとする。いっぽう戦術はたくみな時間の利用、、、、、に賭け、時間がさしだしてくれる機会と、樹立された権力に時間がおよぼす働きに賭けようとする。[30]

 

ここで注意しておきたいのは、こうした「戦略」と「戦術」の概念は行為の性質を表しているのであって、このふたつの属性それぞれに還元されるような対立する事物が存在すると考えるのは誤りだということである。イアン・ブキャナンは、「ド・セルトーが戦略と戦術によって提供するのは、アイデンティティのような鈍重で柔軟性に欠ける道具に頼ることなく文化を分析する手段である[31]」と提起している。彼は上に挙げたような思考に基づいたセルトーへの批判――たとえばセルトーは戦術-民衆と戦略-支配権力という強固な二元論のなかで思考しており、つねに前提として強者としての権力が存在するといったもの――に対して、セルトーがまさに「使用方法」に限定して定式化したものを使用者に変換する、戦略と戦術の存在論化を行っていると指摘する[32]。彼が以下の引用でただしく指摘しているように、

 

製品や現象に個性を与える活動は、正しく「戦術的」と呼ばれるが、その活動を行う主体はそうではない。同様に、ベンサムパノプティコンに見られるような権力の組織的な強化は、正しく戦略的と呼ばれるが、その体制の管理者はそうではない。[33]

 

「戦略」と「戦術」はあくまでもそれぞれの人びとの取りうる操作を記述するモデルであり、人は戦略的にも戦術的にも行動することができる。「被支配者は、消滅の危険を冒して戦略的に行動することができるが、賢明にも、通常はそうしないことを選ぶだろう[34]」。ここにあるのはたんに方法の差異なのであって、対立する諸事物のアイデンティティの差異ではない。戦略と戦術という、それを行使する各々のアイデンティに還元、紐付けされる必要のない動的なモデルに依拠することで、セルトーは二元論的な強者-弱者の対立を侵犯する人びとの実践を描くことに成功しているのである。ブキャナンはここにセルトーの反ヘーゲル的なスタンス――主人と奴隷の弁証法からの逸脱――を見ている。

 

セルトーが弁証法の要請から離れて活動することができるのは、彼の道具立てのこの特徴、すなわち身元確認(identification)のプロセスを必要としないという事実に拠っている。そのため彼はもはや「上」か「下」かを識別する必要がなく、したがって、明らかに強力な者が明らかに弱い者に対して脆弱であることを矛盾なく示すことができるのである。つまり、ド・セルトーの権力の概念化は、トップダウンとは程遠い、多元論的なものなのである。[35]

 

ブキャナンはこうしたセルトーの多元論をドゥルーズの超越論的経験論と結びつけ、戦略と戦術の関係がヘーゲル弁証法的な「AとnotA」の二項対立ではなく、ドゥルーズがヒュームから取り出した、AとBの外部において第三項として二項の関係に特殊性を与える接続詞の働きである「AB [A AND B]」の論理であることを指摘している[36]。しかしここで私たちに重要なのは、「BAの関係が戦術的なのは、もう一方のABの関係が戦略的だからではなく、より好都合だからである。戦術的に行動することは賢明なことであり、義務的なことではない[37]」ということ、つまり戦略と戦術は一方が決まると自動的に他方の関係も決まるようなAとnotAという二項対立の関係にあるのではなく、どちらも選びうる手段として同時に存在する行為の様態であり、互いに異なったふたつの項であるAとBの関係にあるということである。[38]

 

「場所」と「空間」

 買い物、読書、料理…といった動作に見られた人びとの戦術を、セルトーは都市空間を歩く人びとにまで敷衍させる。彼は第七章「都市を歩く」を世界貿易センターの最上階から見下ろしたマンハッタンの光景を描くことからはじめ、そうした視点に対して次のように疑問をはさむ。

 

このようなコスモスを読む恍惚には、いったいいかなる知の悦楽がむすびついているのだろうか。この恍惚感に激しく酔いしれながら、わたしは自問する。「全体を見る」歓び、人間の織りなす数々のテクストのなかでももっとも桁はずれなこのテクストの全貌をはるか上から見はるかすこの歓びは、いったどこからきているのだろう、と。[39]

 

 この「下界を一望する」視点は、近代理性的なすべてを見ることができる視点の虚構性と重ねあわされる。「おのれが、世界を見るこの一点にのみ在るということ、まさにそれが知の虚構フィクションなのである」[40]。そしてそれは、固有の場所を区画しそれぞれの意味に整理する都市計画的な知の視点にほかならない。セルトーの目は、そうした上からのまなざしをよそに「下のほう」で営まれる、都市の日常的な実践を人びとの実践に向けられている。

 さきに第九章「空間の物語」におけるセルトーの「場所」と「空間」をわける定義を確認しよう。

 

まずはじめに、空間[espace]と場所[lieu]のあいだに、範囲の境界となるような区別をつけておきたい。場所、、というのは、諸要素が共存関係のなかで区分される秩序(それがどのようなものであれ)である。したがって、そこではふたつのものが同じ場所[place]にあるという可能性は排除される。そこでは「固有」の法[La loi du « propre »]が君臨している。すなわち、考慮される要素は互いに隣同士、、、になっていて、それぞれはその定義によって「固有の」場所に位置している。場所はしたがって、それぞれの位置の瞬間的な[41]構成である。それは安定性のしるしを意味している。[42]

 

 それに対して、「方向のベクトル、速度の量、そして時間という変数をとりいれてみれば、空間ということになる[43]」。空間は「動くものの交錯するところ」であり、「それを方向づけ、状況づけ、時間化する操作がうみだすもの」であり、「要するに、空間とは実践された場所のことである、、、、、、、、、、、、、、、、、l’espace est un lieu pratiqué[44]」と定義される。恣意的な意味を割り当てられたものとしての「場所」は、日々活動している人びとの実践、「方向づけ、状況づけ、時間化する操作」によって「空間」に変えられる。

 ここで注意したいのは、セルトーはそうした操作によって生み出される空間は「曖昧さ[l'ambiguïté]」をもったものであると、一見すると意外な帰結を言っている点である。なぜ実践された場所としての空間は「具体的な」ものになるのではなく、曖昧さをもつのか。彼は場所と空間の関係を、言葉とそれが話されるときの関係と引き比べることでそれを説明している。言葉は、それが実際に話されるときの前後の文脈や社会慣習によって意味が変容させられ、つまりそれぞれの状況に応じた曖昧さを持つ。それと同様に、実践された空間も場所に対して曖昧さをもつのである。「したがって空間には、場所と違って、「固有の」もの[un « propre »]などという安定性〔=不変性〕[stabilité]や一義性はない[45]」。

 このように人びとの実践は、すでに存在する「場所」に対して第二のレベルとしての「空間」をつくりあげる。セルトーが「軌跡」を人びとの実践を描くに際して採用しようとしたことをさきに確認した私たちには、こうしたセルトーの目論見はたやすく理解できるだろう。セルトーが提示するのは、都市計画によって幾何学的につくりあげられた都市を、歩くことによって「空間」へと転換させる歩行者、というモデルである。

 彼は民衆の都市を歩く行為を話す行為と比較し、「歩く行為の都市システムにたいする関係は,発話行為(speech act)が言葉(ラング)や言い終えられた発話にたいする関係にひとしい[46]」とする。言語規則の差異の体系であるラングは、その実践であるパロール(言語活動)が少しづつもとの規則を逸脱していくことで、新たにつくりかえられていく。それと同様に、セルトーにとって歩くという行為はそれによって都市を新たにつくりかえるものである。「歩行者は、空間「言語」のシニフィアンを選びわけたり、自分なりの使いかたでそれらをずらしたりしながら、不連続性をつくりだしてゆく。[...]「めったになく」、「ふとした偶然からうまれた」、非合法的な空間「表現」を組みたて[47]」ることで組織化された空間を逸脱していく。それは「地理システムを占領、、横領、、するプロセス[un procés d’appropriation][48]」なのである。

 

「物語」

 セルトーは空間的な実践のひとつとして「物語(語り、話)[récits]」を挙げている。彼は第九章「空間の物語」の冒頭で物語がもつメタファー的な働きに注意を促した上で、次のように言う。

 

毎日、物語はさまざまな場所を横断し、場所を組織化している。物語はそれらを選別して、まとめて結びつける。場所を文章にしたり、旅程に組んだりするのである。物語は空間の順路[parcours d’espaces]である。[49]

 

軌跡[trajectoire]という言葉こそ使っていないが、「空間の順路」という言葉に見られるように、彼が「物語」という言葉で示そうとするのも動的な人びとの実践である。「物語はなにかの実践を表現しているのではない。たんに動きを伝えているだけでもない。物語はそれをやっている、、、、、のである[50]」。セルトーは、毎日のちょっとした会話からテレビのニュース、伝説まで、すべて旅の物語であり、空間の実践だとする。その上で、それらが行っていること、「物語的な行為、、、、、、[actions narratives][51]」が彼の考察の対象であるとする。ここで私たちは、彼が取り上げる「「地図」と「順路」の二極性」、「境界画定の手続き」を確認しよう。

 

・「地図」と「順路」

 セルトーは、C・リンダとW・レーボヴによる、人びとが場所を口にするときの叙述の分析の紹介から始める。彼らはニューヨークの居住者が自身の住んでいる住宅についてどのような語りかたをするかを二つのタイプに分け、片方を「地図」(map)、もう片方を「順路」(tour)と呼んでいる。前者は「台所のとなりに、娘たちの部屋があります」といったタイプのもので、後者は「右のほうに曲がると居間になっています」というタイプのものである。そして、彼らによれば「地図」型に属しているのはわずか三パーセントである。

 セルトーはこれを「見る、、(場所の秩序の認識)か、それとも、行く、、(空間を生み出す行為)か」、「図であらわすか[…]または動きを組織するか」と整理する[52]。そして彼は、「行うことと見ることのうち前者がこれほど圧倒的比重をしめているこの日常言語のなかで、二つが併存しているというのはいったいどういうことなのか」と疑問を提起したあと、「日常」文化から科学ディスクールへの移行は、道順から地図への移行に対応しているのではないかと言う[53]

 それを傍証するため、セルトーは中世にさかのぼり、そこでは地図はもともと絵や行動を記述する(つまり「順路」を語る)「絵図」に近かったこと、時代とともにそうした絵図は場所の形式的集合である地図に置き換えられていったことを指摘する。「このようにして、地理的場所のシステムが独立してゆき、日常文化の空間物語のなかにうかがえる空間組織はくつがえされてしまったのである[54]」。しかし彼によれば、「地理」が「知の生産物を展示する、、、、、、、、ための固有プロープルの場」で構成され、より範囲を拡張していっているのに対して、空間の物語、日々の物語は「自分のプロープル」ものではない強制された場所であっても、先に見た「順路」を語るなかで、そうした場所を「いじる」ことのできる操作を明るみに出すのである。

 

・境界画定

 セルトーは続いて、空間の構成が境界画定の働きによっていること、空間相互の働きかけは差異化によって可能になっていることを指摘する。

 

主体とその外部をへだてる区別にはじまって、もろもろの事物の位置を定める分割まで、また、住居(壁があってはじめて設定される)から旅(地理上の「よそ」またはコスモス上の「彼方」を設定してできる)にいたるまで、さらには都市組織や農村風景のはたらきにおいても、境界線の決定によって編成されないような空間性はひとつとして存在しない。[55]

 

彼はこうした境界画定すべてに物語が決定的な役割を果たしていることを指摘する。しかしこの境界確定は、固有の場所を押し付けるような否定的なものではない。

 

たしかに物語は筋を「描く」にはちがいない。だが、「およそ筋を描くということはなにかを固定する以上のことであり」、「文化創造的な行為」なのである。[…]物語は空間を創生する。逆に、物語が消滅してしまうとき(または博物誌的なオブジェになりさがってしまうとき)、空間は消滅してしまう。[56]

 

というのも、「境界画定における物語の役割を考慮するとき、まず第一に認められる機能として、境界を設定したりずらしたり踏み越えたりすることを承認する、、、、という最も重要な機能を見出すことができる[57]」からである。セルトーは、物語が境界を設定し、その上でそれを置き換えたり踏み越えたりと自由に扱うことをも承認するところに物語の創造性を見ている。

 彼は物語が実践的な行為の舞台を創造すると述べた上で、しかし物語は「散在し[disséminée](もはや唯一の形態をとらず)、微小な(もはや国家的形態ではなく)、そして多価的な(専一的形態ではなく)形態[58]」をとるために、統一的なものではないことを指摘する。空間には無数の物語があって、その数だけ境界線があり、それらは複雑に絡み合っているのである。彼はまた、そうした境界線が「橋」でもあること、つまり、境界線に分けられたふたつの空間のあいだにあって第三項として働く「相互作用と会見の場」でもあることを示唆する。物語が境界を画定する際にできる「橋」は両義的な空間であり、「場所や伝説の無数の記憶のなかで生きながら二重の生[une double vie]を営みつづけて[59]」いる。「境界の侵犯であり、場所の法への違反である橋は、[…]とにかく秩序への「反逆[trahison]」なのである[60]」。ここでの「場所の法[la loi du lieu]への違反」というのは多少意味がわかりづらいが、「橋」が両義的な性格を持っていること(どちらにも所属し、かつ所属していない第三項でもある)、つまり「二重の生」を営んでいることが、先に「場所」と「空間」の定義のときに見たような(本稿p.14)、「そこではふたつのものが同じ場所[place]にあるという可能性は排除される」という「「固有」の法[La loi du « propre »]」に違反している、ということだろう。このように、物語は、境界画定を繰り返しながら、つまり幾多の秩序をかたちづくりながら、同時にそれがもたらす境界=橋のもつ両義性によって、たえず秩序を揺り動かしているのである。

 

 

 

 

  • 第二部 抵抗する「使用」――セルトーの〈散種〉


「したがって、使用をそれ自体として分析しなければならない」[61]

抵抗する「使用」

 セルトーの提示した諸概念について、ジョン・フロウはいみじくも「彼の操作性の概念は意図的に非常に一般的なものとなっており、これによって彼は様々な実践のシステム(密猟、いたずら、読書、会話、散策、買い物、要求…)の間で交差する一連の比喩的な同等性を設定することができ、したがって「すること」という単一の概念がこれらすべてを包含することはない。しかし、これらに共通するのは、それ自体が表象ではなく、表象の使用、、であるということである[62]」と整理している。

 私たちは、彼のこの定式化に倣って、セルトーが『日常生活の創発性』を通して描いたものを〈抵抗する「使用」〉とまとめたい。いままで見てきたような、人びとが日々行っている諸操作――密猟を働き、都市空間を自らのものに転換し、物語り、本の上を漂流する――、それらは任意のものを「使用」することで自らのものへと変えてしまう、人びとの日常的な抵抗である。

 しかしこの〈抵抗する「使用」〉をめぐって、私たちには次の問いが残っている。なぜその、、、、使用、、は可能なのか、、、、、、何が、、人びとの、、、、そうした、、、、使用、、を可能にしているのか、、、、、、、、、、、という問いが。セルトーは民衆たちによる「使用」がいかにして既存の枠組みから逃れていっているかを語ってはいるものの、その根拠付け、すなわち、いかにしてそうした〈抵抗する「使用」〉が可能になっているのかについては明瞭な理論化は施していない。それゆえ、彼の議論の表面をさらってある種の楽観論と断じる向きすら存在する。しかし実のところ、セルトーは本書のそこここで私たちに抵抗の契機について丁寧に示唆を与えてくれているように思われる。ここで注目したいのは「散種[dissémination]」というデリダ由来の概念である。私たちは、セルトーがデリダから「散種」という概念を引き継ぐことでそれを〈抵抗する「使用」〉の契機としていることを指摘し、セルトーの理論をより根本から理解することを試みる。

 「散種[dissémination]」はセルトーも頻繁に参照している前期デリダの諸著作に頻出するデリダの中心概念のひとつで、意味の多様性をめぐって多義性と対置される概念である。セルトー自身も本書において« disséminer/dissémination »という言葉は何度も使用しているが、既存の邦訳ではほとんど「散種」とは訳出されておらず、他の言語にあっても、この言葉からセルトーに注目した先行研究はほぼないと言っていい[63]。しかし本稿では、あえてセルトーの使うこの言葉がデリダ的含意を持つものとして『日常生活の創発性』を読解することを試みる。私たちが試みたいのは「なぜ、、抵抗する、、、、使用、、」〉は可能なのか、、、、、、」への回答として、「使用」の契機として「散種」を位置づけることである。私たちの読みでは、「散種」という概念枠組みから捉えることではじめて、本書の正確な射程を把握することが可能になる。またこの試みは、多々あるデリダからの引用やそのスタイルからもあきらかであるにもかかわらずセルトーのデリダからの影響[64]への指摘が少ない現状に対し、いままで顧みられることのなかった「デリダ的セルトー」像を浮びあがらせる試みでもある。セルトーのデリダ的戦術をあきらかにすることが第二部の目標となる。

 

二部以降→BOOTH

 

[1] 原題はL’Invention du quotidien, 1, Arts de faire。邦訳『日常的実践のポイエティーク』山田登世子訳、国文社、1987年(復刊ちくま学芸文庫、2021年)。本論文中にて邦訳のページ数を示すときはちくま学芸文庫版を用いている。また、原文を参照する際には1990年の新版(L’invention de quotidien I. Arts de faire, Paris, Gallimard, 1990, (Nouvelle édition, établie et présentée par Luce Giard ; Folio Essais, no 146))を使用した。セルトーの著作を含め、本稿において邦訳が存在するものを引用する際は基本的に既訳に準じているが、訳語を一部改めたり拙訳にかえた際には適宜明記した。

[2] Ian Buchanan. (2001) Michel de Certeau: Cultural Theorist, p.11.

[3] セルトーの共同研究者であり正当な後継者であるルース・ジアールは、神秘研究、広い意味での宗教史研究がセルトーに「再利用」の重要性を教え、それらがセルトーの「「認識されていない生産者、自分のための詩人、自身の道の寡黙な発明者」である一般の人々の活動を理解するために使用された」と指摘し、その上で『日常生活の創発性』と同時期に書かれたセルトーの神秘主義研究の大著である『神秘的寓話』を指して「私たちは、『もののやりかた』と『神秘的寓話』を並行して読むことができるし、そうすべきである」としている。「私たちと同時代のありふれた文化と過去数世紀の神秘主義というあきらかな対象物の違いのなかで、同じ切断、分析、選別の手順、同じ種類の手がかりを集める技術、同じ理解可能性のカテゴリー、基本的に同じ「行動と発言の方法」が働いていることを容易に認識することができる」。Luce Giard. ‘Un manquant fait écrire’, in Recherches de science religieuse 76 (3) MICHEL DE CERTEAU Le voyage mystiqueII, 1988, p.397f.

 このように、本稿で正面から扱うことはしないセルトーの神秘主義研究にも、本稿で扱う「使用」、再利用の問題系を読み取ることが可能である。しかしそれは、そうした研究から着想を得た問題系から人びとの「もののやりかた」を理論化する際、セルトーはデリダを経由した理論立てを行っているとする、後に展開される本稿の内容と相反するものではない。

[4] もっとも、私たちには、山口昌男がセルトーのキリスト教論に関心がなかったということはまったくないように思われる。というのも、そもそも該当箇所において山口はセルトーの提示するキリスト教にかんする図式、すなわちキリスト教は集団の排除原則に従いながらも「異人たち」には注意を払っていた、とする図式を丁寧に紹介した上で全面的に賛同しており、そのうえで、さらにセルトーが「伝道という行為の中にも、この〈異郷行デペイズマン〉の志が貫かれている」と言ってもいることに言及し「最も理想的な形では、それはその通りであったと思うが、われわれに、この議論につきあう義務はない」と、自身はその点は掘り下げない旨を記しているのみだからである(『知の遠近法』岩波現代文庫、2004、p.291.)。これをもって山口がセルトーのキリスト教論を退けていると主張することには無理があるだろう。

 また、つづく文章で山口はセルトーの『ルーダンの憑依』の冒頭の「異なるもの」への言及から次の分析を行っているが、これは本稿が『日常生活の創発性』に見る「抵抗」と非常に接近するばかりか、本稿における問題群とセルトーにおける「他者」の問題とをつなげる架け橋ともなる鋭い考察だといえよう。

「この事実が明らかにするのは、地の底(現実の底)に決して滅殺されることのない内的な抵抗があるということなのである。この姿を隠した内的な力は社会の中にたくみにすべり込む。そして突如、この力は、様々な方法や回路を利用して緊張を掻き立てる。」(同書、p.293.)

[5] 1970年6月30日から7月2日までフルヴィエールで開催された共同研究コロキウムの報告書。そのコロキアムは神学者と歴史家の間の会議を目的としており、各分野に固有の科学的実践を比較し、それに伴って生じる理論的な問題を明確にすることを目標としている。(同論文冒頭説明より)

[6] 渡辺優「「パロール」とそのゆくえ――ミシェル・ド・セルトーの宗教言語論の輪郭――」天理大学学報 70(1)、天理大学、p.22.

[7] Certeau. L’Ecriture de l’histoire, Paris, Gallimard, Bibliothèque des histoires, 1975. 邦訳『歴史のエクリチュール』p.164. 強調原文

[8] L’Invention du quotidien, 1, Arts de faire,p.240. 邦訳『日常的実践のポイエティーク』p.381.

[9] 邦訳をした山田登世子は「直訳すれば『日常の創発性』、あるいは『日常性の発明』とでもといった意味合いになる」ところを「思いきった意訳を試みて、『日常的実践のポイエティーク』とした」(『日常的実践のポイエティーク』ちくま学芸文庫版, p.510)としている。ちなみに「ポイエティーク」はセルトー自身が本文中で使っている、「ギリシア語のpoieinからきた語で、制作であり、発明であり、詩的創造であって、本書がたえず問うているもの」(ibid. p.510)である。

この邦題の解釈は尊重しつつも、私たちは『日常生活の創発性』という訳題を選択した。それは第一には、本稿においてはセルトーの原題を直接に想起できるものであるほうが好ましいだろう、という判断による。

加えて各訳語選択についても注釈しておく。先の引用ように« L’Invention du quotidien »は「日常性の発明(日常性を発明する)」とも取ることができる一方で、「毎日の創意工夫」というふうな意味にも取ることができる。日常生活をおくる名もなき人びとのすがたに光を当てようとしたセルトーの姿勢には前者の意味を読み取ることもできるが、そうした人びとが日々行っている「もののやりかた」に注目し理論化を試みた本書は後者の意味、すなわち「日常生活における創発性」の意味を中心に読み取るのが一般的である(「思いきった」邦題もこの後者の方向性に基づいているといえるだろう)。ここで後者を主題として訳語を選ぶとすると、inventionの訳語が問題となる。inventionは創意工夫の意味もあるが、日本語で「創意工夫」というとどうしても主体の側からの働きかけの側面が強くなってしまうように思われる。本稿におけるセルトー読解では、ある種アプリオリに、主体と他者とのあいだに潜在的に存在する契機としてセルトーのinventionを読み取る。したがってここではinventionは「創発性」と訳し、L’Invention du quotidienは『日常生活の創発性』とした。

[10] 名もなき人びとが発言すること[prendre la parole]=パロールの奪取は68年の五月革命を受けて書かれたセルトーの『パロールの奪取』にて先駆して主題的に扱われている。彼は「先の五月に人びとは、一七八九年にバスティーユ監獄を奪取したように、パロールを奪取した」(p.13)と、通常「発言する」の意味合いで用いられる« prendre la parole »という成句を一度解体し、ただ人びとが発言することが革命的意義をもったその自体を指す言葉として再構築させている。詳細は『パロールの奪取』および訳者あとがきを参照のこと。

[11] Luce Giard. « HISTOIRE D’UNE RECHERCHE » in L’invention de quotidien I. Arts de faire, p.XVI.(脚注1に前述の『日常生活の創発性』の新版に付せられたルース・ジアールによる序文)

[12] 渡辺優「日常的実践という大海の浜辺を歩く者――ミシェル・ド・セルトーと「場」の思考」『日常的実践のポイエティーク』 p.517.

[13] L’Invention du quotidien, 1, Arts de faire, p.XXXVII. 邦訳『日常的実践のポイエティーク』p.18.

[14] La culture au pluriel, Paris, UGE, 1974. 邦訳『文化の政治学山田登世子訳, 岩波書店, 1990.

同書は、セルトーが1968年以降に発表したいくつかの研究における独自の立場から、1972年4月にアルク・エ・スナンで開催された国際コロキウムの報告者に任命されたことによって書かれた文化研究をまとめたものである。Cf. « HISTOIRE D’UNE RECHERCHE » in L’invention de quotidien I. Arts de faire. p.VII.

『日常生活の創発性』で展開されるいくつかのアイデアはすでに『複数形の文化』のなかに素描されており、したがって私たちは『日常生活の創発性』の読解の上で非常に重要な著作として『複数形の文化』を位置づけている。

[15] 邦訳『文化の政治学』p.283. 強調原文

[16] Ibid., p.286.

[17] Ibid., p.297.

[18] L’Invention du quotidien, 1, Arts de faire, p.XXXVII. 邦訳『日常的実践のポイエティーク』邦訳p.18.

[19] Ibid., p.XXXVII. 邦訳p.18f. 強調原文

[20] Ibid., p.XXXVIIf. 邦訳p.19. (強調原文)

[21] Ibid., p.XXXVIII. 邦訳p.19. (筆者訳)

[22] Ibid., p.52. 邦訳p.109.(強調原文)

[23] Ibid., p.58f. 邦訳p.118. (強調原文、一部訳語を改めた)

[24] ここでセルトーが指摘する「記号[signe]」の反復性と、それゆえに記号化された実践は痕跡[trace]にすぎない、という思考は、デリダが「記号」全般に見る反復可能性の原理と重ね合わせることができるだろう。そして、それこそ私たちが第二部で行うことである。

[25] Marsanne Brammer, ‘Thinking Practice: Michel de Certeau and the Theorization of Mysticism’, diacritics, 22:2, 1992, p.27.

[26] Ibid.

[27] Ibid., p.62f. 邦訳p.124.

[28] Ibid., p.60. 邦訳p.121. (強調原文)

[29] Ibid., p.61. 邦訳p.121f.

[30] Ibid., p.63. 邦訳 p.125. (強調原文)

[31] Buchanan, I. 1996, ‘De Certeau and cultural studies’, in New Formations: A Journal of Culture/Theory/Politics, vol. 31, p.182.

[32] Ibid., p.184.

[33] Ibid.

[34] Ibid., p.188

[35] Ibid. p.184

[36] このドゥルーズの接続詞「そして(et, and)」へのこだわりについて日本語で簡潔に解説したものとして宇野邦一ドゥルーズ 流動の哲学[増補改訂]』 講談社学術文庫、2020、pp.65-74.

[37] Buchanan, I. 1996, ‘De Certeau and cultural studies’, in New Formations: A Journal of Culture/Theory/Politics, vol. 31, p.188.

[38] こうしたブキャナンのセルトーに対する読みはけっして強引なものではなく、それどころか、今なお他のどのセルトー研究よりも正確にセルトーの射程を把握しているとすら言えるだろう。たとえば『複数形の文化』に収録されたマイノリティーを主題とするセルトーへのインタビューを参照されたい(第七章「マイノリティー」邦訳『文化の政治学』pp.165-184.)。セルトーはそこで文化的要素にアイデンティティの基盤を置くマイノリティーの運動に警鐘を鳴らしている。このインタビューでセルトーはいくつかの重要な指摘を行っているが、(1)文化的諸要素のレベルに留まることは経済-政治的な商業主義のもと国立「劇場」に入れられてしまう、すなわちわかりやすくステレオタイプ化され、消費されるものに自ら身をやつすことになること、(2)客観的に民族を定義しようとすること、すなわち目録にあげられたデータに還元しようとする試みは抽象化不可能な「行為」の抹消を伴うこと、(3)自律は、表徴に固執すること、特定の民族に「なる」ために過去に「戻ろうと」したりすることや、自国語を絶対視することにあるのではないこと、すなわち、アルジェリアでは社会-政治的な自律の確立のためフランス語を一時的に導入したおかげでアラブ言語化政策が可能になったように、自律は言語がその目的なのではなく、自律の真の言語は政治的なものだということ等を指摘している(上記の整理は筆者による)。ここには特定のアイデンティティに結びつける「民俗学的方法」(邦訳p.177)の文化分析へのセルトーの断固とした距離感がある。また、特に(3)に関連して、「政策というのは、ひとつの戦略の上にひとつの戦術をつなげていくものなのです。自律というものは、戦略レベルに属することで、言語は戦術レベルに属しているのですね」(邦訳p.183)といった言葉が使われていることは、ブキャナンの言うようなものとして戦略と戦術の関係を把握していないと理解し得ないだろう。戦略と戦術が弁証法的に相対立するものだと考えていたり、戦略は権力者の行使する「悪いもの」で、戦術が民衆の武器であり「いいもの」だというような単純な理解をしていた場合、このセルトーの物言いはたんに理解不能なものか、『複数形の文化』から『日常生活の創発性』で戦略と戦術の用語法に変化があったという思考停止を招きかねない。しかし、いままで見てきた戦略と戦術の定義に照らした場合、この文章は容易に理解できるだろう。戦略というのは長期的な展望に基づいたものであり、戦術はその手段のレベルに属しうる、その場その場の働きである。このふたつの関係は一方が決まると必然的に他方が決まるようなAとnotAの関係ではなく、ブキャナンが正しく指摘しているように、互いに異なるふたつの項であるAとBの関係なのであり、したがって、戦略の上に戦術がつながったとしても何らおかしなことではない。

[39] L’Invention du quotidien, 1, Arts de faire, p.140. 邦訳『日常的実践のポイエティーク』p.233.

[40] Ibid.

[41] 「瞬間的」と「安定性」が並ぶここは確かに意味がつかみにくく、邦訳では「すべてのポジションが一挙にあたえられるような布置」(p.284)と訳されている。しかし原文は« une configuration instantanée de positions »であり、« instantanée »に「一挙にあたえられる」のニュアンスを読み取るのは厳しいだろう。わたしにはむしろ、ここの「瞬間的に[instantanée]」というのは、通時的な時間の流れの中での配置に対していわば共時的な、つまりその瞬間を切りとった断面図的な配置としての「場所」を意味しているように思われる。それは空間の特徴として「時間という変数」が取り上げられていること、「軌跡」の議論の際にも時間という観点を重視していたことなどからも傍証されるだろう。瞬間的な捉えかただからこそ、その見方は判で押したように同じものになる。しかしその奥にこそ異なるもの、流れとしての実践された空間がある、という構図がセルトーの基本的な戦術だといえるだろう。

[42] Ibid., p.172f. 邦訳p.284f. (筆者訳, 強調原文)

[43] Ibid., p.173. 邦訳p.284. (強調原文, 邦訳から一部改めた)

[44] Ibid., p.173. 邦訳p.284. (強調原文)

[45] Ibid., p.173. 邦訳p.284. (筆者訳)

[46] Ibid., p.148. 邦訳p.245.

[47] Ibid., p.149. 邦訳 p.247f.

[48] Ibid., p.149. 邦訳p.245. (筆者訳、強調原文)

[49] Ibid., p.170. 邦訳p.280

[50] Ibid., p.123. 邦訳p.212. (筆者訳、強調原文)

[51] Ibid., p.172. 邦訳p.283.(強調原文)

[52] Ibid., p.175f. 邦訳p.287f.

[53] Ibid., p.176. 邦訳p.289. ここで「道順」となっているのは邦訳ママであり、原文でもリンダとレーボヴの議論の紹介をする際には「地図[cartes]」(map)と「順路[parcours]」(tour)だったのに対して、ここでは「地図[cartes]」と「道順[itinéraire] 」になっている。

[54] Ibid., p.179. 邦訳p.293.

[55] Ibid., p.181. 邦訳p.296.

[56] Ibid., p.181f. 邦訳p.297.

[57] Ibid., p.182. 邦訳p.297. (筆者訳、強調原文)邦訳ではこれに続く箇所でも「承認する[autoriser]」を「権威づける」と訳しているが、これだと端的に誤訳であるばかりか、物語が空間の実践を可能にする条件として働いていることがほとんど理解不能になってしまう。

[58] Ibid., p.184. 邦訳p.299.

[59] Ibid., p.188. 邦訳p.306.

[60] Ibid., p.188. 邦訳p.306. (筆者訳)

[61] L’invention de quotidien I. Arts de faire, p.55. 邦訳『日常的実践のポイエティーク』p.113. (筆者訳、強調原文)

[62] John Frow. ‘Michel de Certeau and the practice of representation’, in Cultural Studies, 5(1), 1991, p.52. 強調原文

[63] 邦訳では名詞の« dissémination »のうちふたつを「散種」と訳すにとどまっている(p.266, p.353)。そのうち「ディセミナシオン」のルビつきで訳された「都市を歩く」の一部分から、「都市に散種された契機としての物語を...」といったようなことを述べる文献はわずかだが存在する(e.g. 近森高明(2005)「「都市を歩く」再考」、加藤政洋(2009)「問われるストリート・エスノグラフィーの方法」)。しかし、セルトーの« disséminer/dissémination »はまさに本書全体に散在しているのであり、本書に通底するセルトーのデリダ的思考から『日常生活の創発性』を理解することが第二部での私たちの目標である。

[64] デリダとセルトーには親交が存在し、思想的な影響関係もデリダからセルトーへという一方的なものではなかったことは指摘しておく価値があるだろう。セルトーの死後『ある時代のためのカイエ』誌において特集されたセルトーの追悼論文集 Michel de Certeauにはデリダも寄稿しており、そこではセルトーが『神秘的寓話』において考察した根源的な« Oui »をめぐって、デリダ特有の反復可能性の議論を倫理的側面へとつなげる文章が収録されている。‘Nombre de Oui’ in Michel de Certeau, sous la dir. de Luce Giard, Cahiers pour un temps, Centre Georges Pompidou, 1987, pp.191-205. 邦訳「ウィの数」『プシュケー 他なるものの発明II』藤本一勇訳、岩波書店、pp.345-360. 「ウィの数」からセルトーとデリダの距離を論じたものにHent de Vries. “Anti-Babel: The ‘Mystical Postulate’ in Benjamin, de Certeau and Derrida.”など。

 

 

*1:Michel de Certeau Cultural Theorist, Ian Buchanan, SAGE Publications, 2000, p.2.

*2:全文にはワンコインの料金設定をしていますが、これは今どき「無料だから」という理由で多くの人に読まれることもないでしょうし、届くひとにはまったく問題なく届くだろう、むしろある程度こちらで価値を示したほうが訴求性が出るのでは、 といった考えによります。まあわたしとしては10部も売れればいい方だと思っておりますが。

*3:加えて恥を忍んで言うと、提出が非常にギリギリだったため論文指導もほぼまったく受けていない