cartaphilium

La prière la plus solitaire est ainsi la plus solidaire des autres.

樋口円香の単色アイコンについて

 時がすぎるのはあまりに早い。

 同じ昨日を繰り返しているようで、また訪れる今日はすこしづつその軌道を変えて、私たちはいつの間にか遠くどこか離れた場所にいるものです。

 半年前に私たちが何について話していたか、覚えていますか?

 

 

 

 そう、樋口円香さんの単色アイコンについてですね。

 

 

 シャニマス4周年企画の一環で公開された、各アイドルユニットのチェインのグループチャット画面(※チェイン:シャニマスにおけるLINEのようなもの)。

 樋口円香さんが自身のアイコンを単色アイコンに設定していることは、大きく話題になりました。主に私のなかで。

 しかし、たとえば「円香 単色アイコン」で検索しても、以下の記事が投稿される以前には3件あるのみ、それ以降はこの記事についての言及がほとんどです。

 「透 雛菜 アイコン」で検索すれば浅倉透さんが市川雛菜さんの宣材写真をアイコンにしていることへの言及ツイートがたくさん出てくることを鑑みれば、明らかに少ないと言えるでしょう。

 そして私は、唯一まとまった文量で書かれた考察記事といえる以下の記事の主張には、全面的に賛同できません。

 そう、声を大にして言いたい。樋口円香さんは実はそんなにキモくない! と。

sasatanwwwww.hatenablog.com

 

 まず論点を整理しましょう。

 上の記事では、

・「Twitterが単色アイコンの人は、LINEも単色アイコンであるという不完全な前提」のもと*1

Twitterの単色アイコン界隈の特徴に言及し(「名前が概念的で、ツイートが何を言っているのか分からないアレ」)、

・「樋口円香がそんな単色アイコンであることが、わたしにとっては少なからずショックでした。」と述べます。

そのうえで、

・筆者には樋口円香さんがTwitterを使っている想像がつかないので、彼女の単色アイコンはTwitterの単色アイコン文脈と関係がない、という留保を入れたうえで、

・「自分のセンスで「単色アイコンがいい」と判断してLINEを単色アイコンにしている」という点をもって、

・「単色アイコンを選ぶセンスが一致している時点で、Twitterの単色アイコンも樋口円香もある程度同じ感性を持った人間

 と結論づけます。(強調原文)

 

 このシンプルなロジックを支えているのは、筆者自身太字で強調している「自分のセンスで「単色アイコンがいい」と判断してLINEを単色アイコンにしている」という一点でしょう。

 本当にそうなのでしょうか? 私はある種の確信を持っているのですが、彼女の単色アイコンは、もっと別のところ、彼女自身の複雑な自意識に由来するもののように思われます。

 

 それを示すためには、TwitterとLINEにおけるアイコンの立ち位置を比較する必要があります。私には、単色アイコンをめぐっては「まさに文章を送信するその瞬間において、アイコンがどこにあるのか」が非常に大きな問題だと思われるのです。

 Twitterにおいて、私たちはツイートをするまさにそのとき、自身のアイコンと送信されるツイートを一緒に見ながら送信ボタンを押します。言うなれば、ひとはツイートをするとき、「このアイコン、このアカウントのもとで、私はこの発言をする」という署名をしていると言っていいでしょう。この署名は、承認の働きを、すなわち、アイコンとツイートが併置された画面を見て、その名のもとに[sub nomine]ツイートをしてよいと判断する働きを持ちます。

 この作用は必然的に、アカウントをパッケージングするものです。Twitterの運用は多かれ少なかれ(意識的であれ無意識的であれ)、このパッケージングを行う側面を持っていると指摘できるでしょう。複数のアカウントを「用途別に」運用するひとがいるように、容易にそのアイコンを変え、ハンドルネームを変え、ヘッダーを変えることができる。自身の名のもとにつぶやかれたツイートも、気に入らなければ剪定することができる。そうして、自身の意図した通りの全体性を持ったアカウントをパッケージできる。だからこそ、単色アイコン界隈というような、同じようなアイコンで同じような発言をするひとたち*2クラスターになることもできるし、あなたもお望みであれば、アカウントをしかるべく整えてそこに入っていくこともできる。

 ただ、このユーザーの意図した通りの全体性を持ったアカウントはそれゆえに、必然的に、ユーザー自身とは離れて強固な一貫性を持つようになることも指摘しておく必要があります。この文章を読んでいるひとのなかには、過去に「自分のキャラじゃないな」と思ってツイ消しをしたことがあるひともいるでしょう。しかしその「キャラ」はあなた自身のキャラクターでしょうか。それともあなたのTwitterアカウントのキャラクターでしょうか。

 ここで重要なのは、Twitterのアカウントはユーザーの意図した全体性を簡単に演出できる設計になっていますが、それを欲しているのは間違いなくユーザーの欲望だ、ということです。自身のキャラと違うからツイートをしない、あるいは一度ツイートした文章を削除する、というときの感情は、見られたい自身の姿を保とうとする欲望と、現実にはその通りの存在ではない自身とのあいだの葛藤であるはずでしょう。そうした虚栄心が、Twitterではわかりやすく存在すると言えると思います。そしてまた、アイコンはわかりやすくその象徴になっている。

 

 それに対してLINEでは、誰かと話すとき、自身のアイコンが表示されることはありません。自分がどう見えているのかについては、話している当の相手から端末の画面を見せてもらうか、スクリーンショットを送ってもらうかでもしない限りは見ることができません。

 加えて、LINEでは一般的に、ひとりごとは存在しません。誰かとの会話しか存在しないのです。もっといえば、特定の誰かとの対話しか、「あなた(たち)」との会話しか存在しない。ひとはそこでは、こうありたいと望む姿のみをとることはできませんし、するべきでもありません*3。ひととの会話のなかで、思いもよらない返信に狼狽したり、怒ったり、思わず笑ってしまったり、その場のノリで調子に乗ったり、寝ぼけたまま送信したり、そうした「あなた(たち)」とのあいだのクローズドな会話が行われるのがLINEだ、と言えるでしょう。そうした一時の感情によって紡がれる有機的な言葉は、こう見られたいという虚栄心とはおおよそ無縁なものです。しかしながら、ひととのあいだで交わされる、「こう見られたい」という意図の存在しない、気を抜いた自身の発言――ときに放言であったりしますが――は、振り返って見るとドキッとするものです。とくに、繰り返しになりますが、LINEではメッセージを送るそのときに自身のアイコンは見えません。LINEで文章を送ろうとするときに、「いま送ろうとしているこのメッセージは、このアイコンのもと、こういうふうに見られることになるだろう」ということまで気を回す人はおそらくいないでしょう。ここです。自分がどんな顔でメッセージを送っているか、自分だけが把握していない構造がLINEにはあります。もちろんLINEのアイコンも自らが設定したものではありますが、それはどこまでも過去の自分が設定したものに過ぎません。だからこそ、寝癖が立ったまま怒っているひととか、社会の窓が空いたまま偉そうにしているひとみたいな状況に近しいことが、LINEでは起こりうる。意図した一貫性を持たない自身の発言が、しかし自身の名のもとに、ひとつのアイコンのもとに集められてしまう窮屈さがある。

 樋口円香さんは、自身の振る舞いがどう見られうるかということについて、彼女なりに、非常に自覚的です(WING編からずっと、どう見られているか、どう見られたいのか、自身はほんとうはどうありたいのかは、彼女の、ひいてはノクチルの物語の根幹にあるものです)。だからこそ、自身がどう見られているのかを制御しきることはできないLINEの構造においては、彼女にとっては、単色アイコンが最善手だったのではないかと思うのです。

 

 たとえば、単色アイコンにする前の樋口円香さんを想像してみましょう。もしかしたらアイコンは自撮りだったかもしれないし、お気に入りの小物だったかもしれない。そのまましばらくやっていて、ノクチルの4人で買い物に出かけることになる。駅前で早く着いた小糸と珍しく早く着いた雛菜と待っていると、「と、透ちゃん、いま起きたって......!」といって、小糸がスマホの画面を、グループLINEで遅刻連絡をする透のメッセージを見せてくる。「浅倉......」とつぶやきながらも、目はそれ以外のところに釘付けになっている。なぜなら、前日夜にみんなで変なノリでしゃべっていたときの自身の発言が、透の遅刻連絡のひとつ上に残っているから。そうか、私はLINEではみんなにはこういうふうに見えているのか、としばし考える。

「円香ちゃん......?」と心配そうに聞いてくる小糸に、「浅倉、ジュース三本ね」「う、うんっ!」「やは〜」といった会話があって、翌日、樋口円香さんのアイコンは単色になっている。これです。

 樋口円香さんは単色アイコンをセンスがいいと思っているのか? 私は、防御姿勢として、一番地味で、何も語らない単色アイコンを選んだのではないかと思っています。ふと自身のアイコンに意識を巡らせたとき、笑顔で悲しい話をしていることも、キメたポーズの宣材写真でギャグを言っていることも、好きな小物に誰かへの怒りをしゃべらせることもないように。

 そう、まさに上の記事でも引用されている「私は娯楽のための見世物じゃない」という思考によって、彼女の単色アイコンは説明ができるのです。

 

 さて、まとめると私の主張も非常にシンプルで、「ふだん意識しないぶん、意識したときになんの感情も抱かないように単色アイコンにしている」がファイナルアンサーです。

 しかしここには別の袋小路があることも確かでしょう。LINEの単色アイコンが別種の自意識の発露であったとして、LINEのアイコンが単色の時点でそれ相応のキツさがあるのもまた確かだからです。しかも、一度「いちばんダメージが少なく済むように」という理由で単色アイコンに変えたのだとしたら、そこからまたもとに戻すのは、多大な労力を必要とすることでしょう。防御態勢としての単色アイコンから他のなにかに変えることは、すなわちあえて自身の弱点を晒すことであって、自意識との格闘に苛まれること必死ですし、もし小糸ちゃんに「円香ちゃん、アイコン変えたんだね......!」と言われたら、まず間違いなく舌をかんで死ぬでしょう。

 

 そして現在これを書いている筆者も、まったく同じ袋小路にもう何年も入り込んでいます*4。助けてくれ......小糸ちゃん............

 

 さて、いちばんキモいのが誰だったのかわかったところで、そろそろお別れの時間のようです。それでは......

マンモクスン

 

P.S.

トーンカーブをかけたアイコン

 ちなみに、トーンカーブをいじると彼女のアイコンは微妙に単色ではないことがわかります。

 その上にさらにバケツをかければ、微妙に横線の縞模様が入っていることがわかるでしょう。

 しかしこれはいったい何なのか。jpgで投稿されたことによる劣化の可能性もゼロではありませんが、まだ全貌は謎に包まれています。みなさんはどう思いますか?

*1:野暮なツッコミだが、「"Twitterが単色アイコンの人" ならば "LINEも単色アイコンである"」からは、「"LINEが単色アイコンの人" ならばTwitterも単色アイコンである" 」は導けない。加えて言えば、後述の理由で、LINEが単色アイコンのひとはTwitterは単色アイコンにはしないと思う。個人的な感覚では、同記事に対する以下のツイートの方が頷ける。

https://twitter.com/Hals_SC/status/1532968651527098368

*2:特徴なるものを持ちうるのは、前提として、それがひとつの全体性をもっているからにほかならない。

*3:だからこそ私たちは、ひととの対話のなかでありたい自分の姿のみを押しつけるようなひとたちが、虚栄心に彩られたLINEの文章が、散々にインターネット上でネタにされているのを見てきたのではないでしょうか(おじさん構文であったり、どしたん話聞こか構文であったり......)。

*4:ちなみに部屋の壁を至近距離で撮って彩度などをいじったもの。

文体の舵をとれ 練習問題 第一章~第四章

私が主催して七月から牛歩の歩みで進んでいる文舵合評会で提出した文章のまとめです。

下の方に各文章についてのメモがあります。

 

第一章 自分の文のひびき

〈練習問題①〉文はうきうきと

問一

声に出して読むための語りの文を書いてみよう。

その際、オノマトペ、頭韻、繰り返し表現、リ ズムの効果、造語や自作の名称、方言など、ひびきとして効果があるものは何でも好きに使っていい――ただし脚韻や韻律は使用不可。

 

 坂を登った。大変だった。やたらと長いしガタガタのコンクリートはヒールと相性最悪で、靴擦れが痛いし太陽は変わらず殺そうとするように暑いし。途中塀の上に猫がいたからよかったものの、いなかったら相当危なかった。頂上間際の「止まれ」に「黙れ、ここで止まらない元気があるわけあるか」と愚痴りながらも、上についたら達成感と開放感で止まらず走り出しそうになって、そんな目の前をビュンと掠めた自動車にかなり肝を冷やした。交通標識には従いましょう。坂の途中の自販機で買ったミルクティーは、炎天下で、まずくはないけど強いて飲みたくもない温度になっていて、ただ、別にいいかと思い直す。そろそろ目的地に着くのだ。こんな坂道を登らせた張本人のお住まいに。この坂を登ってこさせるような優雅な性格なんだから、ガンガンに冷房を効かせて優雅に涼んでいるに違いない。冷たい水の2杯や3杯頼んだって文句はないはずだ。ジンジャーエールやビールを頼んじゃったっていいかもしれない。

[メモ]

 

 

問二

動きのある出来事をひとつ、もしくは強烈な感情(喜び・おそれ・悲しみなど)を抱いている人物をひとり描写してみよう。文章のリズムや流れで、自分が書いているもののリアリティを演出して体現させてみること。

 

 ぱっと光ったのは稲妻で、それは私たちを祝福するような光だった。
 あの頃、ゴロゴロと鳴る雷の光の隙間に二度三度四度と暗転する空が、ぴしぴしと窓を叩きつける雨がこわくて、私たちふたりは怯えてベッドのなかに隠れたものだった。うるさい雨がもたらすいっさいの沈黙には深い深い眠りの後のクラクラとする酩酊感覚のような落ち着きがあって、じめっとした漆喰の部屋に立ち込める土の匂いの背徳感が、逃げ込んだベッドのなかで握りしめた妹の手から私だけに伝わってくるようで、とにかく私はこの時間が好きだった。私は本当に雷を怖がっていたのだろうか。タオルケット一枚で隔てる薄暗闇は、この薄暗い寝室よりもさらにすこしだけ暗くて、それは私たちふたりのほんのすこしの秘密と同じだけの量だった。出口をふさいだかまくらのような、パイ生地をかぶせたタルトのような。まっしろなタオルケットのなかで見つめあって交わす言葉は異言めいていて、お互いの肩に触れる髪の毛はそのときもすこしだけ湿っていた。
「ねえ」
「どうしたの」
「夜は」
「もうすぐよ」
「昼は」
「まだそこにある」
「朝は――」
 ――――。
 ひときわ大きな光は音がしなかった。閃光がタオルケットに私たち二人の影を写しとる暗い部屋(カメラ・オブスキュラ)。空気を切り裂いて轟く音が、薄皮一枚のベールの内側に届くまでの永遠。それはどこまでも祝福だった。

[メモ]

 

第二章 句読点と文法

〈練習問題②〉ジョゼ・サラマーゴのつもりで

 一段落〜一ページ(三〇〇〜七〇〇文字)で、句読点のない語りを執筆すること(段落など他の区切りも使用禁止)。

トタン屋根の隙間から私のあらゆる肌の表面にむかって忍び込んでくるあの冬の寒さに身を縮こまらせることにも慣れたそのときを起点にして水を汲みにおりた家の裏手の井戸のそばで南から吹いた暖かな風が頬をやさしく撫でてあたたかな記憶と春という軽やかな生命の息吹を思い起こさせるまでのとてもとても長い時間のあいだにはすっかり忘れていて一度たりとも思い出すこともないはずの感覚たとえば夏のむっとして木々と土のにおいが混ざった湿度の高い流体のような空気を吸いこんでこの足や腕を引っぱる重力がいくぶん強くなったように感じる気分や汗でべっとりと肌にはりついてこの服ごとどうしてもこの季節からは逃れられないのだという感覚になるあの濡れた服の不快な感触といったものが急に思い起こされるとしたらそれは一般的にはそうした悪夢を見たとかそうした描写のある物語を読んだだとかなにかまったく外的な体験が必要になるわけでまさかそうした外的な契機を必要とせずに夏の暑さを冬まで思い続けてわざわざ冬に夏の気分の悪さを考え続けていたりあるいは夏に冬の気味の悪さを考えて続けていたとしたらとてもそのひとは正気とはみなされないのが社会通念というものなわけだけれど私の高校入学と同時に親元を離れ寮暮らしになって一年が過ぎたサファモアに至ってなお楽しいハイスクール生活とは裏腹に抱き続けた義理の両親に対する恨みという一言では表しきれない殺意という一言なら表しきるかもしれないさまざまな感情は日々大きくなることに関してとどまることを知らなかった

[メモ]

 

第三章

〈練習問題②〉長短どちらも

問一

一段落(二〇〇~三〇〇文字)の語りを、十五字前後の文を並べて執筆すること。不完全な断片文は使用不可。各文には主語(主部)と述語(述部)が必須。

[英語の主語+述語という主体と動詞の関係構造は、日本語にそのままで当てはまるものではないため、たとえばここでは、〈何〉について〈どう〉であるのか、のように主題を対象とする陳述・叙述が成立していればよいものとする]

 

割れた空はテレビの砂嵐のようだった。私は意識して短い呼吸を繰り返す。冴えていく身体に鼓動を感じる。つい、彷徨った手は腰へと伸びる。冷たい銃のグリップがよく手に馴染んだ。私はきっと大丈夫だ、と思う。むこうから彼女がやってくるのが見える。軽薄に笑って手を振っている。声は霧に溶けてこちらまでは届かない。今度はそのつもりで銃に触れる。私は何が「大丈夫」なのだろうか。私は殺せるか心配しているのだろうか? 彼女を殺せる自信はある。殺した後を心配しているのだろうか? 何を心配するというのだろうか。悩むことなど何もなかった。一気に撃鉄を起こし射撃する。銃弾は彼女までまっすぐに届く。けれどそれは当然のように当たらなかった。

[メモ]

 

 

問二

半~一ページの語りを、七〇〇文字に達するまで一文で執筆すること。

 

なんかダメになったので藍子を窓から投げ捨てたらそのままの勢いでバンジージャンプよろしく帰ってきたのが今年の二月だから、つまりはもう半年近くもこの藍子と生活していることになるわけで、でも、どこがダメになったのか思い出せないくらい藍子はいつも通りこの上なく見えるし、なんなら投げ捨てたこと自体夢だったりするのでは?(希望的観測)と藍子の背中を優雅にパタつく羽根の付け根のあたりをムニュイっと触ってみるとガムテで大幅に補強した跡がばっちり残ってたりして、やっぱり往復バンジー胡蝶の夢にあらずということなんだろうと一応の結論はついたわけだけれど、そもそも何がダメになって捨てたのかとかなんかほとんど忘れてるし、なんか覚えてない? とどこか不機嫌そうな張本人に聞いたらいや、ちゃんとおかしくなってるじゃないですかって華奢な指先で窓の方を指すものだから、聞いたのはあなたのことなんですけど〜とか思いつつ半開きの遮光カーテンをピシャッと開けて窓の外を眺めてみると、ちょっと古めでかわいい大きさの家々がゴタゴタ集まって遠い向こうには霞んだビルディングの見える変わり映えしない下町の景色が広がっていて、空にはでろりと真っ黒な太陽が浮かんでいて、やっぱりいつも通りの私の暮らす東京で、んー別におかしいところなんてないけどって振り返るとやっぱり藍子は不機嫌そうだしまた理由を聞いてもなんか曖昧な返事だし、そういう態度が私たちの関係をダメにしたんじゃないんですかどうなんですか! ってあっダメになってたのってもしかして私たちの関係? とか考えてたらそうではないとすぐに藍子に否定されてしまってそうなんだ〜と思ったけど結局なにがダメになったんだろう。 

[メモ]

 

 

〈練習問題③〉追加課題

問一

最初の課題で、執筆に作者自身の声やあらたまった声を用いたのなら、今度は同じ(または別の)題材について、口語らしい声や方言の声を試してみよう――登場人物が別の人物に語りかけるような調子で。
 あるいは先に口語調で書いていたなら、ちょっと手をゆるめて、もっと作者として距離をおいた書き方でやってみよう。

 

(1)

ゆっくりと、二度、腹を蹴った。湿ったうめき声が令からこぼれる。これでいいの、私の声に令は微かに頷く。これでいいらしかった。「気持ち悪いよ」と小さくつぶやく。狭い子供部屋にはそれでも十分響いた。置いたままの足裏から呼吸を感じる。令はかすかに微笑んでいた。とても、とっても満足そうな表情だった。それが私には気に食わなかった。心もち、右足に重心を傾ける。令はますます笑顔になっていく。足裏に伝わる体温が気持ち悪かった。どうしてこんなことをしてるのだろう。この状況は令の望んだものにすぎない。私は別に――別になんだろう。令はあたたかかった。ゆき、と咳混じりに名前を呼ばれる。やわらかな腹部は抵抗で固くなっていた。自分が気遣いを忘れていたことに驚く。思わず退けた足に、床は冷たかった。その動作を謝罪と取ったのだろう。ううん、と令はかぶりを振って。「ありがとう」そう言って薄く笑った。

[メモ]

 

(2)

確かに昨日の天気予告では大雨だった。それなのに空には雲ひとつない。憎たらしいほどに綺麗な青がまぶしい。アーシャは軽くため息をついた。こうなっては仕方がない。慎重に、慎重にベランダへの窓を開ける。天蓋の光はとっても肌に悪い。予告が外れたような日はとくに。ベランダの室音機を稼働させる。一秒と外に出ていたくはなかった。あわてて部屋のなかに戻る。室音機が緑穹片を消費する。こーん、と少しづつ音が反響する。430ヘルツの神聖な音が部屋に満ちて。アーシャはふうと軽くため息をついた。これはこれで選びとった生活なのだ。それにしても、と彼女は思う。人工太陽の下の暮らしは、楽ではない。

[メモ]

 

問二

 書いてみた長い文が、単に接続詞や読点でつないだだけで構文が簡単になっているなら、今度は変則的な節や言葉遣いをいくらか用いてみよう(ヘンリー・ジェイムズを参照のこと)。

  すでに試みたあとなら、ダーシなどを駆使してもっと〈ほとばしる〉文を書いてみよう――さあ、あふれ出させろ!

 

物語は夢から醒めたそのときから始まるんだ、そういって父親がちいさい俺の頭をなでていたとき、それを話していたのがいつもの自然公園の丘の上だったか、それとも夕食後のソファーの上だったか覚えてないんだが、とにかく俺は退屈していて、じぶんの手を――手の甲にまだ毛の一本も生えていないきれいな手を――何とはなしにくるくるひっくり返しながら眺めていたことだけは覚えていて、それ以外のこと、そのときの父親はお気に入りなのに休日にしかかけない細いフレームの丸眼鏡をかけていたのかどうかも、数ヶ月伸ばしていい感じになってきたらなぜか毎回そこでさっぱりと剃ってしまっていたあごひげがその日はどうなっていたのかも、父親らしくゴツゴツとした手はちいさな俺の肩をかれのほうに優しく引き寄せていたのかも、その言葉はなにかほんとうらしいことをいおうとする人間に特有の神妙な顔つきで発せられていたのかも覚えていないのに、大きくなったじぶんの手を、ささくれだって張りのなくなった乾いた手を見るたびに、どうしてかその父親の言葉を――物語は夢から醒めたそのときから始まるんだ――思い出し、いつだって、耳元で残響するその言葉はこれ以上ないほんとうらしさにあふれていて、俺にあるひとつの問いを突きつけていた――つまり、「物語はもう始まっているのか」という問いを。

[メモ]

 

 

第四章 繰り返し表現

問一:語句の反復使用

段落(三〇〇文字)の語りを執筆し、そのうちで名詞や動詞または形容詞を、少なくとも三回繰り返すこと(ただし目立つ語に限定し、助詞などの目立たない後は不可)。(これは講座中の執筆に適した練習問題だ。声に出して読む前に、繰り返しの言葉を口にしないように。耳で聞いて、みんなにわかるかな?)

 

太陽が溶けていく。世界が朱に溶けていく。規律を失った屋上のフェンスたちは、逆光に染まって大量の朱いバツ印を光らせていた。空へとまっすぐに背を伸ばして生徒たちを守る役目も忘れて、屋上の内側と外側とを隔てる美徳も放棄して。君がそのフェンスをがしゃりと掴む。風はぬるかった。朱が混ざり込んだぬるい風が私の肌をすこし溶かしていた。さようなら。最後にそこにいる君にだけは伝えかったのかもしれない言葉は、それすら開いていく距離感のなかに溶けて届かない。落ちていく加速度。もうずっと前から探しつづけていたような、喉の奥を塞ぐ孤独のなかに確かに存在する大切な思い出に意識を溶かして。朱い朱い地面に肢体を手放した。

[メモ]

 

問二:構成上の反復

 語りを短く(七〇〇~二〇〇〇字)執筆するが、そこではまず何か発言や行為があってから、そのあとそのエコーや繰り返しとして何らかの発言や行為を(おおむね別の文脈なり別の人なり別の規模で)出すこと。
 やりたいのなら物語として完結させてもいいし、語りの断片でもいい。

 

 からん、ころん。

 夕暮れに染まる店内にドアチャイムが軽やかな音をたてる。

 私はいったん手を止めて、軽く一房にしたエゾムラサキをやさしく取りわけた。薄紫の花弁がくるりと俯く。ここ数年の「流行り」で、老脈男女年齢問わず、贈答花としてひときわ人気になったかわいらしい花。品種改良や栽培法で一年中育てられるようになったその花は、当然、私の営む生花店でも年中切らすことなく仕入れていた。いまやってきたお客さんも、この短命の多年草を買いに来たのかもしれない。

「いらっしゃいませ」

 背の高いミモザの陰から姿を現したひとに声をかける。入店からまっすぐカウンターまで来るお客さんは、おおよそほしいものが決まっているか、聞いた方が早いと思っているか、とにかく、声をかけたからといって店を離れるタイプではないことは確かだ。

 やってきたのは利発そうな少女だった。

「本日はどなたへの花を?」

 無音。一拍おいて、目をきらきらと輝かせて。

「は、はじめましてっ!」

「はい?」

 まじまじと少女の顔を見てしまう。花屋の店員に話しかけるにはおよそ似つかわしくない挨拶をしてきた彼女は、なんというか輝いていた。目とか。表情とか。顔の前であわせた細い指先の薄ピンクのネイルとか。

 はじめまして、のとおり、私とこの少女は初対面のはずだった。

「あの、えーっと、は、はじめまして」

「あー、すみません、いきなり……」

 癖なのだろう、目線は私から外さずに、少女はさらさらとした後れ毛をその白い手でくるくると巻きとりながら。

「わたしサラっていいます。お茶でもしませんか、お姉さん?」

 さらりと私に言ってのけた。

 

 燻したコーヒーと柔らかなバターの香り。シックな窓辺には私の仕立てた網籠のフラワーポット。道路をはさんで真向かいにあるこの喫茶店は私の花業のお得意様で、私もここのフレンチローストのお得意様なのだった。

 窓ぎわの瀟洒なテーブルに、ふたりぶんのティーカップが並ぶ。

 よくこんなことしてるの、そう聞いた私にサラはまさか、と言って小さく笑った。

「はじめてなんです。見た瞬間に、こう、ビビッと来てしまって」

 この出会いは運命に違いない、そういう直観が働いたのだという。ふつうに話しかけたら、店員と客の関係から始まってしまう。けれど彼女はこの運命を私とすぐに分かち合いたくて、だから焦りながらも適切な言葉を探した結果、出てきたのが「はじめまして」だったのだ、と。

「まだこの街に来てすぐなんです。夕暮れ時でも活気のある商店街ってなんだかめずらしくて。それに、どこか懐かしくて。あ、わかりますか? ふふ、ぶらぶらしていたらあなたのお店の前を通りかかったんです。そこでなにかが私のなかで引っかかって、ふらりと立ち寄ったんですよ。店先のお花だったか、入口のドア飾りかなにかだったか、あなたに出会ったから忘れちゃったんですけど。だから——」

 サラは一瞬窓の外へ伸ばした視線を私の方へ向けると、軽く身を乗り出して囁いた。

「いまいちばん知りたいのは、お姉さんの名前なんです。教えていただけますか?」

 

 

 それから閉店時間を過ぎてマスターに追い出されるまで、私たちはほんとうにたくさんの話をした。たとえば、嫌いなものについて。自分ではあまり気に入っていない、私の名前について。許せる虫とそうでない虫について。伝えたい言葉が思い出せないときの絶望について。流行り病について。たとえば、好きなものについて。好きな紅茶と、それにいちばん合うお茶請けについて。自分の前に手にとられたのが何年前かもわからないような、書庫の奥から借りた本を広げたときのにおいについて。長旅から帰ってきたときの安心感と、ちょっとだけ残る寂しさについて。

 サラの作戦はまったくもって成功で、このお茶会は私たちの関係を一足飛びに特別なものに——ただの花屋とお客の関係ではないものに——するにはじゅうぶんだった。

 長く短い時間のなかで、私とサラの考え方は同じ場所を目指す旅びとのように非常に近しいもので、お互いの趣味の違いはそれぞれを補い合うかのように感じられた。

「ほんとうに、月と太陽と地球が一直線に並んだみたいな偶然」

 笑いながら言ったサラのジョークに私も笑ってしまったけれど、私たちはたしかにこの偶然に、特別な関係になれたのだった。理由はいらなかったし、もし必要とあればいくらでも挙げることができた。

 

 

 そして私とサラが一緒になってから季節がひととおり巡ったころ、サラは発症した。

 

 

 ベッドに細長く差し込む明け方の光に、サラはわずかに眩しそうに目を開いた。

 ゆっくりと身体を起こして、不思議そうにまわりを見渡す。早朝の静けさに白く沈む病室の壁を、そしてベッドの脇にすわる私を。窓際に置かれたエゾムラサキの意味に気づいたのだろうか。サラはすこし目を見開いて、私の顔を見る。

 私の心は驚くほどに凪いでいた。何も終わってなどいないことへの、これからも続いていく時間への確信ゆえだろうか。そう、たとえ忘れられても。けれど、これがひとつの始まりでもあることは確かだった。だから、

「はじめまして、サラ」

「はじめまして! ええと、お名前をお伺いしてもいいでしょうか?」

 私はすこし好きになった自分の名前を口にする。

 いいお名前ですね。そういってサラはやさしく微笑む。

 薄紫の花弁がくるりと俯いた。

[メモ]

 

 

 

 

 

メモ

 

第一章

〈練習問題①〉

問一[本文へ戻る]

・合評会では、読点のすくないだらだらっとした語りが進み続けている視点人物の描写と噛み合ってテンポのよさにつながっているのだが、それが心理描写で遮られている、といった指摘があった(大意)。たとえば、「交通標識には従いましょう。」とか「ただ、別にいいかと思い直す。」みたいなところは別にいらないのでは、という。

・書いたときにはぐちぐちと歩いているが小気味よい、みたいな饒舌さをねらっていたのだと思うが、たしかに指摘の通り、立ち止まって考えてしまっているような箇所はその流れが淀んでしまっている 。自分では気づけない指摘で、たしかに~となった。

・「初回だし締切には間に合わせないと......」と思って非常に急いで書いたので、このなかではいちばん納得のいっていない文章でもある。合評会初回の時点で私以外のみんなが締切を守らなかったため、それ以降は締切厳守で急ぐことはあんまりなくなったというあまりよくない後日談がある(自分はだいたいは締切守ってますが......)。

 

問二[本文へ戻る]

・一瞬の永遠を過去時制で語るタイプの雨の日姉妹百合。問一よりも先に書いていたので、文舵をはじめていちばん最初に書いて提出した文章になる。書いたときには気に入って、合評会の後にツイートしたりしていた。

・最後の段落を書いているとき、「映写機? 輪転機?」と入れたい単語のニュアンス逆引き連想ゲームをしていて、カメラ・オブスキュラが思い浮かんだときにはかなりテンションが上りました。ちょうど暗い部屋の話なので。

・合評会でも割合好評だった。外の雷(光)と内側の暗闇の対比をもっと明示的に示唆するべきでは、といった指摘もあり、もし入れるとしたら......は悩みどころ。雷雨の屋外は電気のついていないような室内よりは明るいけれど、けっしてわかりやすく対比できるほどの明るさではなく、かといって対比として描いている以上は......

 

第二章

〈練習問題②〉[本文へ戻る]

・読みやすい、という感想と読みづらい、という感想が両方あった。これは一文(大きな主部と述部のあいだ)に複数の修飾部をつけて、それぞれをひたすら伸ばしていくような書き方に起因していると思う。文法的にいえば破綻がなくつながっている文章にはなっていて、それに対して、この課題の実作のなかでは読みやすかった感想ももらえたんだろうと思う。一方で、このやたらと長い修飾部が悪さをして読みづらい、というのも非常にわかる。

・内面を描写した前半と環境や外的な面を書いた後半に飛躍があって、この逆説がうまく接続されていないように思う、という指摘もあった。書きながら自分でも思っていたので、これはまったくそのとおりだと思いますね......

 

 

第三章

〈練習問題③〉
問一[本文へ戻る]

・リ❍リコか? という指摘はなかった。合評会の掟が守られている......(『文体の舵をとれ』巻末の合評会のルールが書かれた箇所に、「〇〇を思い出した」などど言わないように、という記述がある)

・課題をかなり厳密に守って、15字プラスマイナス2文字に納めるように書いた。なので書いている側としてはパズルをしているような感覚があり、あまり文章そのものとしては面白みがないのでは? という気持ちもあったのだが、合評会ではけっこう好評だった。制約があるなかでも、文章として続きが気になる感じに書かれている、過不足なくどういう情景なのかが伝わってくる、など。なるほど。

・厳密に課題を守ることで、リズムにどうしても起伏がなくなってしまう感覚があったため、〈練習問題③〉追加課題の問一「ゆっくりと、~」の文章では、課題を意識しつつも意識しすぎないように書いてみた。けど、それについてはまたあとで。

 

問二[本文へ戻る]

・いちおう某作家の文体模写のつもり。問一よりも面白く書けた感覚があったのだけど、「読みづらい」「何が言いたいのかわからない」と大不評だった。ショック。

・私のなかでの試みとしては、第二章の練習問題②とはまったく別の書き方をしている。練習問題②では、主部と述部のあいだをひたすら延ばしていく、という書き方なので、端的に言えば「さまざまな感情はとどまることを知らなかった」で、あとはすべてそれへの修飾とわけてしまってよい。

・それに対して、今回の文章では、ひとつの文のなかに複数の動詞を入れてガンガン時間を動かしていく、という書き方をとっている。なので、「〇〇が✕✕した」と要約するのが不可能になっていて、それが「何が言いたいのかわからない」みたいな感想にもつながっているのだと思う(という話を合評会でもした)。

文体模写元の作家がそういう書き方をしていて、意図的に一文の始まり方と終わり方での平仄をあわせていない、「この文はこの始まり方でこの出口に抜けていくの!?」みたいなスリリングな読書体験をできてしまったりする。

・それを取り入れてみたつもりではあるのだけど、さすがにもとの作家も一文が700字に及ぶまで長くしたりはしていない。加えて、かなり短い文も混ぜたりとリズム感を非常に意識していて、その絶妙なバランス感覚がその作家の文章を読むときの稀有な読み心地につながっている。私の方ではたぶん失敗している。メリハリが大事ってこと。

 

〈練習問題③〉追加課題

問一

(1)[本文へ戻る]

・モチーフとして、レガスピさんの「殺伐百合小説集」に影響を受けて書いたものです。私の性癖ではありません、念のため。

・読んだのが半年くらい前だったのでキャラクター名などは忘れていたのですが、いま確認したら「殺伐百合小説集」収録「腹パン百合」の登場人物のひとりが「れい」なので、被ってしまっていますね。こいつは、失敬。オマージュということで、なんとかなりますか?(終了画面選手権)

・さきに書いたとおり、「令はあたたかかった」が9文字でいちばん短く(-6)、多いので18文字(+3)と、前回の問一よりも「十五字前後」の課題をゆるく取って書いた。そのぶん、リズムとして自然で、前回ほどぶつ切りにはなっていない、という感想を合評会ではいただいた。

・断片文が複数あって、それは書きながら目をつぶっていたけれどあえなく指摘された。

 

(2)[本文へ戻る]

・参加者が非常に少ない会だったので(ふたりだった)、数合わせにもうひとつと提出したもの。こっちはぶつ切りっぽさが残っている。

・造語を多用してますが、まあこんな感じの話だろう、という推測は立つ程度には意味不明にはなっていない、とのことで、安心しました。

 

問二[本文へ戻る]

英語圏の某作家を意識しているので、翻訳調です。日本語としては、文体模写とまではいかないものの、漢字の閉じ開きはとある好きな作家のものに基本的に準じています。

・けっこう気に入っているものの、課題に準じて700字は書くべきところを560字くらいで収まってしまった。700字に増やすとしたら......と考えるとバランスが崩れそうで難しい。合評会では「覚えていないこと」の描写の比重が大きすぎかもしれない、という指摘もあり、成熟する前後の自身の手の描写をあまり覚えていない父親の存在と重ねて書くのであれば、たしかにもうすこし手の描写などをしたほうがよかったかもしれない。

 

第四章

〈練習問題④〉

問一[本文へ戻る]

・「朱」と「溶ける」の二語を繰り返した。それぞれの指示対象が変わることで効果的な繰り返しが違和感になっていない、という評価で、よかったです。

・「屋上」「生徒」「フェンス」、あとは後半の描写で飛び降り自殺をする(女子)生徒を書いたものと理解できる情報は提示したつもりだったが、合評会では具体的な描写の少なさには説明不足を感じたとする声が多かった。あと、ほとんど描写のない「君」は要素として必要なのか、みたいな。

・一方で表現についてはかなり反応がよく、たとえば「それすら開いていく距離感のなかに溶けて届かない」という文がいい、といってくれたひとがいたものの、いま振り返ると練習問題②の問一の「声は霧に溶けてこちらまでは届かない」と似たような修辞表現になっていて、引き出しの少なさが露呈してしまっている感じであまりよくないな~と思う。

・さいしょは『雫』の有名なシーンみたいな、溶鉱炉みたく赤い空、学校の屋上、という風景が書きたいというスタートで、主人公に対する「君」のほうが飛び降りたりする予定でした。ただ、書いている途中で主人公側が飛び降りている話にできることに気づき、同時にnyanyannyaさんのShutterという大好きな曲をオマージュした内容にできると気付き、書いていた「赤」を「朱」に変えたり、歌詞の一部(「落ちていく加速度」)を引用したりしました。直接の反映はされていないものの、後半部分については、同じくnyanyannyaさん作詞作曲の「LIAR」という曲の歌詞とか、『TФЯMЗИT』という小説を見ながら書いた影響が出ています。

www.nicovideo.jp

 

問二[本文へ戻る]

・愛するひとの記憶を失う病気が「流行って」いて、それゆえに愛するひとにエゾムラサキ=勿忘草を贈ることが流行になっている世界でのガール・ミーツ・ガールです。フォゲットミーノットとか勿忘草って書くと直截的すぎてあけすけだし使いたくない、という気持ちでエゾムラサキに。そういう世界であれば、忌み名みたいな風習として、本来の花の名前(勿忘草とかフォゲットミーノットとか)ではなく、むしろエゾムラサキみたいなあまり使われてない名前でこの花が呼ばれるようになるのでは、みたいな考えもあります。

・「はじめまして」を二回繰り返すことってそうないよな、と思ったので選んだものの、合評会では、この言葉だけの繰り返しだと構成上の反復として弱いのでは、という意見もあった。

・「薄紫の花弁がくるりと俯く」を最初と最後で反復していたり、あともうひとつ、意味上の反復になっている箇所があったりします。そういうことではないらしい。

・「え......短編小説とか書いたことないんですけど.......」と思いながら書いた。

セルトー『日常的実践のポイエティーク』の注釈と研究

参考文献たち

この文章について

 本稿はわたしの学位論文「抵抗する「使用」——セルトーの〈散種〉 ミシェル・ド・セルトー『日常生活の創発性』をめぐって」の第一部(と第二部冒頭)の部分掲載です。全文はBOOTHにあります。

 第一部は「はじめに」とあわせて1.8万字くらいありますがあくまで序論で、第二部と第三部が本論になっています(全体で5万字程度です)。とはいえ、第一部は『日常的実践のポイエティーク』の簡単な解説(かなり突っ込んだ議論はしていますが)になっており、これ単体でも読解のさいの助けになるのではと思います(『日常的実践のポイエティーク』を詳細に読解した文献さえ、現状数えるほどしかありませんので)。

 『日常的実践のポイエティーク』は去年復刊されましたが、まあまともに読まれている気配はないですし、たとえばセルトーの議論をただの楽観論だと断じたり、セルトーのいう「戦術/戦略」をきわめて二項対立的だとするような見方はいまだに根強いように思われます(セルトー研究者のイアン・ブキャナンはこの本を指して「カルチュラル・スタディーズの分野ではよく知られているが、いわば時事的な面白さだけで読まれている*1」と20年前に書いていますが、いまでもたいして変わりはないように思います)。

 セルトーは『日常生活の創発性』(邦訳『日常的実践のポイエティーク』)において、フーコーの言うような規律権力から逃れていく人びとを、さまざまなモチーフを扱いながら描きました。本論では、そうした人びとの戦術に一貫して存在する「使用」を指摘したのち、それがデリダ由来の「散種」という概念に基礎付けられていることを論証します。デリダがテクスト論の文脈から導いた「散種」をセルトーは権力論(都市計画論)に応用していた、という、いままで日英仏のセルトー研究においてわたしの知る限り試みられたことのないアプローチからのセルトー読解になっています。この観点から「散種」の応用可能性を説いたデリダ論もわたしは読んだことがなく、デリダ圏の権力論としても面白い内容になっているのではないかなと思います。

 また、第三部においては、第七章「都市を歩く」の第三節の読解から「無意識における実践」について扱うことで、セルトーの議論をより精緻に再構築することを試みています。同様の試みとしては近森高明氏の「「都市を歩く」再考」がありますが、本稿ではより詳細に読解することで、「意識的な実践に先立つ無意識の領域においても権力システムから逃れていく民衆像」というかれのセルトー理解をさらに刷新する結論を導いています。

 ちなみに、主体の権力に対する抵抗の契機をめぐる議論として、佐藤嘉幸氏の『権力と抵抗』に非常に影響を受けており、扱う題材、扱う思想家はまったく異なりますが、並べて読んでいただければその影響が見てとれるものと思います。(彼はデリダについてもその本のなかで主題のひとつとして扱っていますが、いわゆる歓待論や遅延としての郵便システムなどに焦点が当てられており、「散種」には触れられていなかったと記憶しています。)

 口頭試問で教授方からも望外のお褒めの言葉を頂いたものの、せっかく書いたのにそれで終わりというのも……と思い元々何かで公開することは考えていたのですが、別の機会に教授方に「この論文はぜひどこかに発表した方がいい」と勧められたため、なら尚更、ということで公開することにしました*2

 まあ御宅はさておき、いわゆるフランス現代思想に詳しくなくとも(そもそも哲学系に明るくないひとでも)読めるし面白いと感じられる文章になっている、との評判です。セルトーに興味がない方でも、あるいは哲学科の卒論ってどんな感じなんだろうというような方もぜひお読みいただければ幸いです(わたしは他人の卒論を一枚も読んだことがないので*3少なくともスタンダードではないでしょうが)。以下から本文です。

 

 

 

 

 

 

はじめに

 本稿が試みるのはミシェル・ド・セルトーの『日常生活の創発性』[1]の読解である。1980年にフランス語で出版された同著作は『日常的実践のポイエティーク』の邦題で1987年と比較的早くに邦訳された。長らく絶版になっていたが、今年(2021年)ちくま学芸文庫において復刊され、多少の耳目を集めた。しかし実際のところ、彼の著作は一番有名な『日常生活の創発性』でさえひろく受容されているとは言い難く、その思想的背景についての言及もすくない。セルトーはイエズス会士であり、歴史学者であり、哲学者でもあった。神秘主義研究を終生続け、ラカン精神分析の「パリ・フロイト学派」には設立当初から関わっていた。そうしたセルトーの扱う領域の広さは、彼に「不当な縮減[2]」を強いる結果となっていることが多い。たとえば有名になりすぎた後期の文化分析と前期の宗教史家としての仕事をまったくの無関係なものと見做したり、「宗教的なセルトー」と「世俗的なセルトー」というような分断を設ける見方は、セルトーを読むある種の典型的な態度になっている。翻って日本における数少ないセルトー研究に目を向ければ、彼の宗教的観点を強調しすぎるあまり、結果的に彼の思想家としての側面を閑却しているものも見受けられる。本稿で私たちが主題とするのは、そのどちらでもなく、ひとりの、、、、思想家としてのセルトー、、、、、、、、、、、である[3]。渡辺優は論文「「パロール」とそのゆくえ」において「ひとつのセルトー」像の提示を試みているが、その際宗教的な観点からの読みの必要性を強調し、当該論文の脚注において、山口昌男を筆頭とした日本における旧来の受容の限界[4]を示すにあたってセルトーの比較的マイナーな論文[5]を引用している。

 

おそらく日本で最も早くに彼の仕事に注目したのは文化人類学者の山口昌男だが,セルトーの「異人(エトランジェ)」論の射程を的確に見抜いていた彼も,セルトーのキリスト教論については,その意義は認めつつ,結局のところ「われわれに,この議論につき合う義務はない」と退けている(『知の遠近法』岩波現代文庫,2004年,291頁)。これは,従来のセルトー受容にみられるひとつの典型的な態度なのだが,セルトーを真に「理解」しようとするならば,そこには決定的な限界がある。次の言葉を引用しておけば十分だろう。「私は,私が歴史について行う分析のなかに私の信仰を入り込ませていることを否定することはできないし,私が神学者であるということを忘れたふりをすることもできない」(Michel de Certeau, « Faire de l’histoire. Problème de méthodes et problèmes de sens », in Recherches de science religieuse, t. 58, 1970, p. 515)[6]

 

しかし引用された論文において、その直後にセルトーが付け足している言葉を見逃すべきではないだろう。

 

この関係を隠そうとするどころか、神学者と歴史家の会合の共通の目的は、この関係を明るみに出し、批判し、ひとつの間違いもなく修正することである。(ibid.)

 

ここにあるのは自身の神学的立場と学問的立場を厳しく峻別しようとするセルトーの学者としての学問的誠実さであり、先の文はそこに重点を置いてこそ受け取られるべきだろう。もちろん、その動機においてセルトーを突き動かしていた神的なものといったテーマは、彼自身否定できないかたちでその著作に現れている。彼の使う「他者」や「異者学[hétérologie]」といった言葉の背後に宗教的な含みを読み取ることはたやすい。しかし同時に、彼は学問的研究のなかで自身の宗教的感情をひろげることを潔しとせず、一貫して学者としての姿勢を維持し続けていた。

 

信者である歴史家は、今となっては彼の学問的研究の中に主観的、、、確信をこっそりと滑り込ませることしかできない。[7]

 

 私たちが試みるのは、セルトーのまさにこの学者=思想家としての側面を扱うことである。彼はプラトンからデリダまで、多くの思想家の書物を読み漁り自らの血肉にしていた。彼のなかでそうした思想がどのように息づき、その主著たる『日常生活の創発性』に現れているかを分析することが本稿の目標となる。

 私たちは第一部においてセルトーの『日常生活の創発性』を概観したのち、第二部においては「散種」という概念を皮切りに、セルトーの思想に見られるデリダからの影響を指摘、検討することで、彼の言う「創発性」の根拠を深く探ることを試みる。また第三部では、『日常生活の創発性』を読解する際軽視されがちな、セルトーが描いている無意識における人びとの実践を扱うことで、意識的な実践のみにとどまるものではないセルトーの理論的射程をあきらかにする。

 

 

 

 

  • 第一部『日常生活の創発性』という書物

 

「じっと動かぬ消費者と、動き流通するメディア。人びとに残されているものといえば、ただ、システムがひとりひとりにあてがうシミュラークルの餌を食むことだけであろう。わたしが異議をとなえたいのは、まさしくこのような考えかたなのである。このような消費者像はうけいれがたい」[8]

 『日常生活の創発L’Invention du quotidien [9]』は1980年に初版がペーパーバックで発売された。本書は二巻組であり、第一巻『もののやりかたArt de faire』はセルトーの単著である。第二巻『住むこと、料理することhabiter, cuisiner』はセルトーならびにルース・ジアールとピエール・マイヨールの三人による共著となっており、実際に街で暮らす人びとへのインタビューや論文などが混ざった、いくらか雑多な内容になっている。第二巻と比較すると第一巻は理論編とでも呼べる内容となっており、私たちの読解もこの『もののやりかた』を中心に行われることとなる(便宜上、以後は第一巻『もののやりかた』を『日常生活の創発性』と呼ぶ)。

 セルトーが本書で描こうとしたのはまさに人びとの「もののやりかた」であり、フーコーが精緻に記したような権力モデルのなかで、いかにして民衆がその支配から逃れているかということだった。それは権力への抵抗を可能とする「実践」のアジテーションを行うための理論的基礎づけを行おうとするものではなく、人びとが現に、、行っている日常的な抵抗としての実践(消費、散歩、読書、料理、話すこと[10]といった日々の操作[opération])をなんとか理解しようとする試みだった。テクノクラート的生産者からの生産物をただ享受するだけの受動的な存在と見做されていた消費者が、実際にはそれらを「使用」することで、自分たちのものへと変容させている能動的な側面を取り上げること。本書中でたびたび登場する「実践の理論」ということばは、まさにそうした実践を理解し記述するための理論を指している。したがってセルトーにとって「すべての実践をこの型にはめ込むための一般的なモデルを開発することが問題なのではなく、逆に「操作のシェーマを特定[spécifier des schémas d’opération]」(p.51〔注:邦訳p.108〕)し、それらの間に共通のカテゴリーがあるかどうか、そして、これらのカテゴリーによってすべての実践を説明することができるかどうかを追求することが問題[11]」なのだった。

 私たちはこれから実際に第一部において『日常生活の創発性』を紐解くことで、セルトーの思想をおおづかみに把握することを試みる。しかし、まずはそれに際して、ある難点があることを指摘しなければならない。そのためにもまずは本書の構成を概観しておこう。冒頭に収められた序文、概説、そして巻末に収められた結論部分とでも呼べるだろう「決定不能なもの[Indéterminé]」を除くと、本書は十四章で構成されている。また、それぞれは一から五部に分けられており、それぞれ「ごく普通の文化」「技芸の理論」「空間の実践」「言語の使用」「信じかた」と区分されている。

 これだけ見てもわかるように、本書の扱う対象は非常に多岐にわたっている。またその文章においても、彼の衒学的とも取れるスタンス――ひろく歴史、思想、古典文学、芸術への参照や、理論的文体と入り混じった、ときに文学的にさえ感じられる筆致――は、ただ「体系的な理論」を求めて本書をひらいた読者には困惑を与えるだろうものになっている(特権的な視座から「民衆」に理論を与えるのではなく、ある種パフォーマティヴに彼ら民衆の雑多な視点からそのありかたを描くことに成功している、と一応の統一的視点は確保できるだろうが)。したがって、もし本書を紹介するために、そのすべてに順を追って注釈をつけていく、あるいは要約するようなかたちを取ったとすれば、それは必然的に散漫なものになってしまうだろう。そこで第一部では、セルトーの提示した重要な概念のいくつかを取り出し、いわば「テーマ別」のかたちでそれらを整理し検討することを試みる。前述のとおり、もとより本稿の目的は単一のシェーマに本書を還元、、することではない。その異種混淆的な書き方によって、いわばそれ自体が「決定不能なもの」の様相を帯びている[12]本書に、ある程度見通しのよい読み方を提供することが第一部での目的となる。

 

「使用あるいは消費」

 本書を貫徹するセルトーの姿勢として、受動的なものと見做されてきた消費者が日常的に行っている「製作[fabrication]」[13]を描こうとしている点を挙げることができる。言説に対する分析が世に多く広まっているのに対して、セルトーはそれらの言説が実際に人びとにどのように受容され、使用されているかという観点からの分析が必要だと感じていた。「受動的な消費者」像への懐疑は、彼の文化研究をまとめた本として『日常生活の創発性』の前段階の著作と位置づけられる『複数形の文化』[14]にすでに見ることができる。ここには『日常生活の創発性』をも貫く彼の考えが明確に現れている。

 

[...]こうしたディスクールがそれを読んだり見たり聞いたりする人びとを「表現」していると想定することはもはや不可能である。新聞やテレビ番組をもとに視聴者の意見をひきだしてくる分析は、視聴者が自分自身と娯楽とのあいだに置いている距離を不当に無視しているのだ。視聴者はもはやそこにいはしない、、、、、、、、、、、。かれらはもはやそんなイメージのなかにはいないのであり、イメージのほうが自分の罠にはまってしまっているのである。[15]

 

 また同書にて、セルトーはテクストといった生産物の分析から人びとを論じようとする向き(ここには仮想敵としてもちろんフーコーも入っているだろう)に対して「テクストの意味というものは、このテクストの表面にほどこされる解釈という手続きの成果だということ」を忘れている[16]と、きわめてポスト構造主義的な立場から批判を加え、次のように言っている。

 

読むという行為と書くという行為のあいだに質的区別があると想定するのをやめなければならない。読むという行為は、あるテクストを使うという行為に投入された、沈黙の創造性である。書くほうは、これとおなじ創造性なのだが、ひとつの新しいテクストを生産するという事実のなかにそれが明示されているのだ。文化的活動は、すでに前者に存在しており、エクリチュールのなかにそのヴァリアントと延長が見いだされるにすぎない。いっぽうと他方のあいだにあるのは、受動性と能動性を隔てる相異ではなく、一定の与件にたいし実践が距離をつくりだす際の、その距離を社会的にしめす、、、さまざまなやりかたの相異なのである。このしるしが文学的になり、解釈する操作が洗練された言語で明示されるためには、特殊な教育をうけ、余暇を有し、インテリゲンチャのなかに地位を占め、等々のことが必要となる。差異は社会学、、、、なのである。受動性と能動性の分割をうのみにして繰り返すような真似をするよりも、社会階層の区分に応じて文化的操作がどれほど変化するかを分析したり、どのような方法を採ってこの操作が優遇されるのかを分析したほうが有益だろう。[17]

 

 人びとは「読む」という行為自体のなかですでに創造性を働かせている。「書く」という行為はそのひとつのヴァリアントなのであり、それには教育や余暇などを享受できる社会的身分が必要であるというにすぎない。ここにはセルトーの、一般的な「創作者」の地位にない人びとも日常的に働かせている創造性――「文化的操作」――への関心がある。この「文化的操作」の分析こそ、『日常生活の創発性』に引き継がれた主題である。この「文化的操作」は、「使用」あるいは「消費」といった言葉にも換言される。

 

テレビのながす映像(表象)の分析とか、ひとがテレビの前でじっとして過ごす時間(行動)の分析といったものは、文化の消費者がその時間のあいだ、その映像を相手に何を「製作」しているのか、それをあきらかにする研究によって補完されるべきであろう。都市空間の使用や、スーパーマーケットで買い求めたさまざまな商品、あるいは新聞が広める物語や伝聞の使用にかんしても同様である。[18]

 

拡張主義的で中央集権的な、合理化された生産、騒々しく、見世物的な生産にたいして、もうひとつ、、、、、の生産が呼応している。「消費」と形容されている生産が。[19]

 

 「消費」という生産、この逆説的な表現にセルトーの戦術は現れている。ただ受動的と見做されてきた人びとは、実際には諸々の手続きのなかで創造性を働かせ、各々の生産を行っている。セルトーが『日常生活の創発性』で繰り返し語っているのは、この受動的な民衆像から能動的な民衆像への視線変更である。

 また、セルトーがこの「受動的と思われてきた人びとの能動性」を取り上げるのは、「支配権力とそれに受動的に従うのみの人びと」という図式に対する抵抗でもある。セルトーは、スペインによるインディオへの「成功」した植民地支配がいかに両義的なものだったかを指摘し、「かれらインディオたちは、押しつけられた儀礼行為や法や表象に従い、時にはすすんでそれをうけいれながら、征服者がねらっていたものとは別のものを作りだしていたのだ、、、、、、、、、[20]」と言う。

 

彼らは外面的には「同化」していた植民地化のなかで、他者にとどまっていた。彼らは支配的な秩序を使用することでその力を発揮していたのであり、拒絶する手段を持っていたのではなかった。彼らは支配的な秩序から離れることなく逃れていたのだ。彼らの差異の力は、「消費」という手続きのなかに維持されていたのである。[21]

 

 セルトーはこうした「使用[usage]」あるいは「消費[consommation]」をたびたび「ブリコラージュ」や「密猟」といった言葉でも表現している。それらはすべて人びとの読書すること、話すこと、住むこと、料理すること、街を歩くこと...といった日常的な実践[pratique, praxis]に見いだされる「使用」の創造的な働きであり、この働き、「操作のシェーマ」を理論化することこそが『日常生活の創発性』の行っている試みである。

 

こうした利用の操作を、わたしは使用法、、、〔usages〕と言うことにしたい。[…]それというのもこの語にはもともと両義性があって、この使用法というのには、(軍事的な意味での)「作戦」の意、特定の形式と創意をそなえつつ、蟻にも似た消費作業をひそかに編成してゆくさまざまな作戦の意がこめられているのである。[22]

 

 

「軌跡」

 セルトーはこうした人びとの実践を描くにあたって「軌跡[trajectoire]」という概念に依拠することを試みている。この試みはすぐに取り下げられるのだが、その理由も含めて、ここにはセルトーの基本的な姿勢が非常によく現れている。そのため、かなり長くなるが彼が「軌跡」について考察を広げる一連の文章を引用しておきたい。

 

実践を考察するために、わたしは「軌跡」というカテゴリーに依拠してみた。これなら空間のなかでの時間的な動きを、すなわち移動してゆく点の通時的継起のまとまりを示せるだろうし、これらの点が共時的ないし非時間的なものと想定された場所にえがきだす形状を示すようなことはないはずであった。だが実をいえば、このような「表象」では十分とはいえない。というのも、軌跡はまさに描きだされるからであり、そうして時間なり動きなりが、目で一瞥でき、一瞬のうちに読みとれる一本の線に還元されるからである。街を歩く歩行者のたどる道筋は平面上に描きうつすことができる。このような「平面化」は実に便利なものだが、場所の時間的、、、分節を、点の空間的、、、配列にならべかえてしまう。ひとつのグラフはひとつの操作の平面化である。ある一瞬と「機会」とに結びついてきりはなすことができず、それゆえ非可逆的な(時間はもどらないし、とりのがした機会はもどってこない)実践が、可逆的な(ひとたび表の上に描かれると、どちらからも読める)記号におきかえられてしまう。つまりそれは行為のかわりに、、、、痕跡をおきかえ、パフォーマンスのかわりに遺物をおきかえることだ。それは行為やパフォーマンスの名残りでしかなく、その消滅の記号でしかない。こうした軌跡が前提にしているのは、あるひとつのもの(この一筋の線)をもうひとつの(機会と結びついた操作)ととりかえうるということである。それは、空間の機能主義的管理が効果を発揮するためにおこなう還元作用に典型的な「取り違え」(これなのにあれを)なのだ。[23]

 

以上のように、セルトーは「軌跡」概念がもたらす「平面化」の働きをその欠点として指摘している。軌跡はまさに描きだされるがゆえに、一回限りでそれゆえに唯一で他の何とも代替不可能な実践を、一本の線として「表象[représantation(=代表)]」し、可視化してしまう。ひとつの軌跡として固定され、記号に置き換えられた実践は、それゆえにどちらからも読め、「空間的配列」として把握することができるが、しかしそこには「場所の時間的分節」が失われてしまっている[24]。これがセルトーが軌跡を「取り違え」だとして退ける理由である。

 ここに見られるように、セルトーの実践の理論化の作業は、体系的に記述して理論化することで「実践」を予測可能で均質なものとして安定化させようという視座から行われるものではなく、「実践を実践のままに思考しようとする、より困難な試み」[25]だった。マルサンヌ・ブラマーが言うように、セルトーの実践の理論化は、物質的に(名詞-目的語の用語で)ではなくダイナミックに(動詞の用語で)思考しようとする試みである[26]。さきに見た使用、消費、読書、密猟といった語彙なども、こうしたセルトーの思考から要請されたものだと言えるだろう。

 

 

「戦術」と「戦略」

 セルトーは人びとの実践を描く「軌跡」にかわるモデルとして、軍事用語から借用した「戦略[stratégie]」と「戦術[tactique]」というモデルを提示している。このふたつのタームは本書全体をつらぬく鍵概念にもなっており、セルトーの示した概念のなかでももっともひろく受容、参照された概念でもある。彼は「戦略」を次のように記述している。

 

戦略とは、ある権力の場所(固有の所有地)をそなえ、その公準に助けを借りつつ、さまざまな理論的場(システムや全体主義ディスクール)を築きあげ、その理論的場をとおして、諸力が配分されるもろもろの場所全体を分節化しようとするような作戦のことである。それは、この三つの場所を組み合わせ、たがいどうしが制御し合うようにしてそれらの場所を制御しようとめざす。[27]

 

この固有の(=みずからの)場に根ざした「戦略」に対して、「戦術」は以下のように定義される。

 

わたしが戦術、、とよぶのは、自分のもの〔固有のもの〕をもたないことを特徴とする、計算された行動のことである。ここからが外部と決定できるような境界づけなどまったくできないわけだから、戦術には自立の条件がそなわっていない。戦術にそなわる場所はもっぱら他者の場所だけである。[28]

 

軍事学者のフォン・ビューローのことばを引いて、セルトーは戦術を「敵の視界内での」動きであるとする。ある固有の場所から全体を見わたして判断をくだす戦略に対して、そうした根をもたない非-場所性[non-lieu]の動きである戦術はゲリラ的な、その都度のもの、一回きりのものである。「戦術が手に入れたものは、保存がきかないのである[29]」。そうした戦略と戦術の違いをセルトーは「場所に賭けるか、時間に賭けるか」と整理している。

 

戦略のほうは、時間による消滅にあらがう場所の確立、、、、、に賭けようとする。いっぽう戦術はたくみな時間の利用、、、、、に賭け、時間がさしだしてくれる機会と、樹立された権力に時間がおよぼす働きに賭けようとする。[30]

 

ここで注意しておきたいのは、こうした「戦略」と「戦術」の概念は行為の性質を表しているのであって、このふたつの属性それぞれに還元されるような対立する事物が存在すると考えるのは誤りだということである。イアン・ブキャナンは、「ド・セルトーが戦略と戦術によって提供するのは、アイデンティティのような鈍重で柔軟性に欠ける道具に頼ることなく文化を分析する手段である[31]」と提起している。彼は上に挙げたような思考に基づいたセルトーへの批判――たとえばセルトーは戦術-民衆と戦略-支配権力という強固な二元論のなかで思考しており、つねに前提として強者としての権力が存在するといったもの――に対して、セルトーがまさに「使用方法」に限定して定式化したものを使用者に変換する、戦略と戦術の存在論化を行っていると指摘する[32]。彼が以下の引用でただしく指摘しているように、

 

製品や現象に個性を与える活動は、正しく「戦術的」と呼ばれるが、その活動を行う主体はそうではない。同様に、ベンサムパノプティコンに見られるような権力の組織的な強化は、正しく戦略的と呼ばれるが、その体制の管理者はそうではない。[33]

 

「戦略」と「戦術」はあくまでもそれぞれの人びとの取りうる操作を記述するモデルであり、人は戦略的にも戦術的にも行動することができる。「被支配者は、消滅の危険を冒して戦略的に行動することができるが、賢明にも、通常はそうしないことを選ぶだろう[34]」。ここにあるのはたんに方法の差異なのであって、対立する諸事物のアイデンティティの差異ではない。戦略と戦術という、それを行使する各々のアイデンティに還元、紐付けされる必要のない動的なモデルに依拠することで、セルトーは二元論的な強者-弱者の対立を侵犯する人びとの実践を描くことに成功しているのである。ブキャナンはここにセルトーの反ヘーゲル的なスタンス――主人と奴隷の弁証法からの逸脱――を見ている。

 

セルトーが弁証法の要請から離れて活動することができるのは、彼の道具立てのこの特徴、すなわち身元確認(identification)のプロセスを必要としないという事実に拠っている。そのため彼はもはや「上」か「下」かを識別する必要がなく、したがって、明らかに強力な者が明らかに弱い者に対して脆弱であることを矛盾なく示すことができるのである。つまり、ド・セルトーの権力の概念化は、トップダウンとは程遠い、多元論的なものなのである。[35]

 

ブキャナンはこうしたセルトーの多元論をドゥルーズの超越論的経験論と結びつけ、戦略と戦術の関係がヘーゲル弁証法的な「AとnotA」の二項対立ではなく、ドゥルーズがヒュームから取り出した、AとBの外部において第三項として二項の関係に特殊性を与える接続詞の働きである「AB [A AND B]」の論理であることを指摘している[36]。しかしここで私たちに重要なのは、「BAの関係が戦術的なのは、もう一方のABの関係が戦略的だからではなく、より好都合だからである。戦術的に行動することは賢明なことであり、義務的なことではない[37]」ということ、つまり戦略と戦術は一方が決まると自動的に他方の関係も決まるようなAとnotAという二項対立の関係にあるのではなく、どちらも選びうる手段として同時に存在する行為の様態であり、互いに異なったふたつの項であるAとBの関係にあるということである。[38]

 

「場所」と「空間」

 買い物、読書、料理…といった動作に見られた人びとの戦術を、セルトーは都市空間を歩く人びとにまで敷衍させる。彼は第七章「都市を歩く」を世界貿易センターの最上階から見下ろしたマンハッタンの光景を描くことからはじめ、そうした視点に対して次のように疑問をはさむ。

 

このようなコスモスを読む恍惚には、いったいいかなる知の悦楽がむすびついているのだろうか。この恍惚感に激しく酔いしれながら、わたしは自問する。「全体を見る」歓び、人間の織りなす数々のテクストのなかでももっとも桁はずれなこのテクストの全貌をはるか上から見はるかすこの歓びは、いったどこからきているのだろう、と。[39]

 

 この「下界を一望する」視点は、近代理性的なすべてを見ることができる視点の虚構性と重ねあわされる。「おのれが、世界を見るこの一点にのみ在るということ、まさにそれが知の虚構フィクションなのである」[40]。そしてそれは、固有の場所を区画しそれぞれの意味に整理する都市計画的な知の視点にほかならない。セルトーの目は、そうした上からのまなざしをよそに「下のほう」で営まれる、都市の日常的な実践を人びとの実践に向けられている。

 さきに第九章「空間の物語」におけるセルトーの「場所」と「空間」をわける定義を確認しよう。

 

まずはじめに、空間[espace]と場所[lieu]のあいだに、範囲の境界となるような区別をつけておきたい。場所、、というのは、諸要素が共存関係のなかで区分される秩序(それがどのようなものであれ)である。したがって、そこではふたつのものが同じ場所[place]にあるという可能性は排除される。そこでは「固有」の法[La loi du « propre »]が君臨している。すなわち、考慮される要素は互いに隣同士、、、になっていて、それぞれはその定義によって「固有の」場所に位置している。場所はしたがって、それぞれの位置の瞬間的な[41]構成である。それは安定性のしるしを意味している。[42]

 

 それに対して、「方向のベクトル、速度の量、そして時間という変数をとりいれてみれば、空間ということになる[43]」。空間は「動くものの交錯するところ」であり、「それを方向づけ、状況づけ、時間化する操作がうみだすもの」であり、「要するに、空間とは実践された場所のことである、、、、、、、、、、、、、、、、、l’espace est un lieu pratiqué[44]」と定義される。恣意的な意味を割り当てられたものとしての「場所」は、日々活動している人びとの実践、「方向づけ、状況づけ、時間化する操作」によって「空間」に変えられる。

 ここで注意したいのは、セルトーはそうした操作によって生み出される空間は「曖昧さ[l'ambiguïté]」をもったものであると、一見すると意外な帰結を言っている点である。なぜ実践された場所としての空間は「具体的な」ものになるのではなく、曖昧さをもつのか。彼は場所と空間の関係を、言葉とそれが話されるときの関係と引き比べることでそれを説明している。言葉は、それが実際に話されるときの前後の文脈や社会慣習によって意味が変容させられ、つまりそれぞれの状況に応じた曖昧さを持つ。それと同様に、実践された空間も場所に対して曖昧さをもつのである。「したがって空間には、場所と違って、「固有の」もの[un « propre »]などという安定性〔=不変性〕[stabilité]や一義性はない[45]」。

 このように人びとの実践は、すでに存在する「場所」に対して第二のレベルとしての「空間」をつくりあげる。セルトーが「軌跡」を人びとの実践を描くに際して採用しようとしたことをさきに確認した私たちには、こうしたセルトーの目論見はたやすく理解できるだろう。セルトーが提示するのは、都市計画によって幾何学的につくりあげられた都市を、歩くことによって「空間」へと転換させる歩行者、というモデルである。

 彼は民衆の都市を歩く行為を話す行為と比較し、「歩く行為の都市システムにたいする関係は,発話行為(speech act)が言葉(ラング)や言い終えられた発話にたいする関係にひとしい[46]」とする。言語規則の差異の体系であるラングは、その実践であるパロール(言語活動)が少しづつもとの規則を逸脱していくことで、新たにつくりかえられていく。それと同様に、セルトーにとって歩くという行為はそれによって都市を新たにつくりかえるものである。「歩行者は、空間「言語」のシニフィアンを選びわけたり、自分なりの使いかたでそれらをずらしたりしながら、不連続性をつくりだしてゆく。[...]「めったになく」、「ふとした偶然からうまれた」、非合法的な空間「表現」を組みたて[47]」ることで組織化された空間を逸脱していく。それは「地理システムを占領、、横領、、するプロセス[un procés d’appropriation][48]」なのである。

 

「物語」

 セルトーは空間的な実践のひとつとして「物語(語り、話)[récits]」を挙げている。彼は第九章「空間の物語」の冒頭で物語がもつメタファー的な働きに注意を促した上で、次のように言う。

 

毎日、物語はさまざまな場所を横断し、場所を組織化している。物語はそれらを選別して、まとめて結びつける。場所を文章にしたり、旅程に組んだりするのである。物語は空間の順路[parcours d’espaces]である。[49]

 

軌跡[trajectoire]という言葉こそ使っていないが、「空間の順路」という言葉に見られるように、彼が「物語」という言葉で示そうとするのも動的な人びとの実践である。「物語はなにかの実践を表現しているのではない。たんに動きを伝えているだけでもない。物語はそれをやっている、、、、、のである[50]」。セルトーは、毎日のちょっとした会話からテレビのニュース、伝説まで、すべて旅の物語であり、空間の実践だとする。その上で、それらが行っていること、「物語的な行為、、、、、、[actions narratives][51]」が彼の考察の対象であるとする。ここで私たちは、彼が取り上げる「「地図」と「順路」の二極性」、「境界画定の手続き」を確認しよう。

 

・「地図」と「順路」

 セルトーは、C・リンダとW・レーボヴによる、人びとが場所を口にするときの叙述の分析の紹介から始める。彼らはニューヨークの居住者が自身の住んでいる住宅についてどのような語りかたをするかを二つのタイプに分け、片方を「地図」(map)、もう片方を「順路」(tour)と呼んでいる。前者は「台所のとなりに、娘たちの部屋があります」といったタイプのもので、後者は「右のほうに曲がると居間になっています」というタイプのものである。そして、彼らによれば「地図」型に属しているのはわずか三パーセントである。

 セルトーはこれを「見る、、(場所の秩序の認識)か、それとも、行く、、(空間を生み出す行為)か」、「図であらわすか[…]または動きを組織するか」と整理する[52]。そして彼は、「行うことと見ることのうち前者がこれほど圧倒的比重をしめているこの日常言語のなかで、二つが併存しているというのはいったいどういうことなのか」と疑問を提起したあと、「日常」文化から科学ディスクールへの移行は、道順から地図への移行に対応しているのではないかと言う[53]

 それを傍証するため、セルトーは中世にさかのぼり、そこでは地図はもともと絵や行動を記述する(つまり「順路」を語る)「絵図」に近かったこと、時代とともにそうした絵図は場所の形式的集合である地図に置き換えられていったことを指摘する。「このようにして、地理的場所のシステムが独立してゆき、日常文化の空間物語のなかにうかがえる空間組織はくつがえされてしまったのである[54]」。しかし彼によれば、「地理」が「知の生産物を展示する、、、、、、、、ための固有プロープルの場」で構成され、より範囲を拡張していっているのに対して、空間の物語、日々の物語は「自分のプロープル」ものではない強制された場所であっても、先に見た「順路」を語るなかで、そうした場所を「いじる」ことのできる操作を明るみに出すのである。

 

・境界画定

 セルトーは続いて、空間の構成が境界画定の働きによっていること、空間相互の働きかけは差異化によって可能になっていることを指摘する。

 

主体とその外部をへだてる区別にはじまって、もろもろの事物の位置を定める分割まで、また、住居(壁があってはじめて設定される)から旅(地理上の「よそ」またはコスモス上の「彼方」を設定してできる)にいたるまで、さらには都市組織や農村風景のはたらきにおいても、境界線の決定によって編成されないような空間性はひとつとして存在しない。[55]

 

彼はこうした境界画定すべてに物語が決定的な役割を果たしていることを指摘する。しかしこの境界確定は、固有の場所を押し付けるような否定的なものではない。

 

たしかに物語は筋を「描く」にはちがいない。だが、「およそ筋を描くということはなにかを固定する以上のことであり」、「文化創造的な行為」なのである。[…]物語は空間を創生する。逆に、物語が消滅してしまうとき(または博物誌的なオブジェになりさがってしまうとき)、空間は消滅してしまう。[56]

 

というのも、「境界画定における物語の役割を考慮するとき、まず第一に認められる機能として、境界を設定したりずらしたり踏み越えたりすることを承認する、、、、という最も重要な機能を見出すことができる[57]」からである。セルトーは、物語が境界を設定し、その上でそれを置き換えたり踏み越えたりと自由に扱うことをも承認するところに物語の創造性を見ている。

 彼は物語が実践的な行為の舞台を創造すると述べた上で、しかし物語は「散在し[disséminée](もはや唯一の形態をとらず)、微小な(もはや国家的形態ではなく)、そして多価的な(専一的形態ではなく)形態[58]」をとるために、統一的なものではないことを指摘する。空間には無数の物語があって、その数だけ境界線があり、それらは複雑に絡み合っているのである。彼はまた、そうした境界線が「橋」でもあること、つまり、境界線に分けられたふたつの空間のあいだにあって第三項として働く「相互作用と会見の場」でもあることを示唆する。物語が境界を画定する際にできる「橋」は両義的な空間であり、「場所や伝説の無数の記憶のなかで生きながら二重の生[une double vie]を営みつづけて[59]」いる。「境界の侵犯であり、場所の法への違反である橋は、[…]とにかく秩序への「反逆[trahison]」なのである[60]」。ここでの「場所の法[la loi du lieu]への違反」というのは多少意味がわかりづらいが、「橋」が両義的な性格を持っていること(どちらにも所属し、かつ所属していない第三項でもある)、つまり「二重の生」を営んでいることが、先に「場所」と「空間」の定義のときに見たような(本稿p.14)、「そこではふたつのものが同じ場所[place]にあるという可能性は排除される」という「「固有」の法[La loi du « propre »]」に違反している、ということだろう。このように、物語は、境界画定を繰り返しながら、つまり幾多の秩序をかたちづくりながら、同時にそれがもたらす境界=橋のもつ両義性によって、たえず秩序を揺り動かしているのである。

 

 

 

 

  • 第二部 抵抗する「使用」――セルトーの〈散種〉


「したがって、使用をそれ自体として分析しなければならない」[61]

抵抗する「使用」

 セルトーの提示した諸概念について、ジョン・フロウはいみじくも「彼の操作性の概念は意図的に非常に一般的なものとなっており、これによって彼は様々な実践のシステム(密猟、いたずら、読書、会話、散策、買い物、要求…)の間で交差する一連の比喩的な同等性を設定することができ、したがって「すること」という単一の概念がこれらすべてを包含することはない。しかし、これらに共通するのは、それ自体が表象ではなく、表象の使用、、であるということである[62]」と整理している。

 私たちは、彼のこの定式化に倣って、セルトーが『日常生活の創発性』を通して描いたものを〈抵抗する「使用」〉とまとめたい。いままで見てきたような、人びとが日々行っている諸操作――密猟を働き、都市空間を自らのものに転換し、物語り、本の上を漂流する――、それらは任意のものを「使用」することで自らのものへと変えてしまう、人びとの日常的な抵抗である。

 しかしこの〈抵抗する「使用」〉をめぐって、私たちには次の問いが残っている。なぜその、、、、使用、、は可能なのか、、、、、、何が、、人びとの、、、、そうした、、、、使用、、を可能にしているのか、、、、、、、、、、、という問いが。セルトーは民衆たちによる「使用」がいかにして既存の枠組みから逃れていっているかを語ってはいるものの、その根拠付け、すなわち、いかにしてそうした〈抵抗する「使用」〉が可能になっているのかについては明瞭な理論化は施していない。それゆえ、彼の議論の表面をさらってある種の楽観論と断じる向きすら存在する。しかし実のところ、セルトーは本書のそこここで私たちに抵抗の契機について丁寧に示唆を与えてくれているように思われる。ここで注目したいのは「散種[dissémination]」というデリダ由来の概念である。私たちは、セルトーがデリダから「散種」という概念を引き継ぐことでそれを〈抵抗する「使用」〉の契機としていることを指摘し、セルトーの理論をより根本から理解することを試みる。

 「散種[dissémination]」はセルトーも頻繁に参照している前期デリダの諸著作に頻出するデリダの中心概念のひとつで、意味の多様性をめぐって多義性と対置される概念である。セルトー自身も本書において« disséminer/dissémination »という言葉は何度も使用しているが、既存の邦訳ではほとんど「散種」とは訳出されておらず、他の言語にあっても、この言葉からセルトーに注目した先行研究はほぼないと言っていい[63]。しかし本稿では、あえてセルトーの使うこの言葉がデリダ的含意を持つものとして『日常生活の創発性』を読解することを試みる。私たちが試みたいのは「なぜ、、抵抗する、、、、使用、、」〉は可能なのか、、、、、、」への回答として、「使用」の契機として「散種」を位置づけることである。私たちの読みでは、「散種」という概念枠組みから捉えることではじめて、本書の正確な射程を把握することが可能になる。またこの試みは、多々あるデリダからの引用やそのスタイルからもあきらかであるにもかかわらずセルトーのデリダからの影響[64]への指摘が少ない現状に対し、いままで顧みられることのなかった「デリダ的セルトー」像を浮びあがらせる試みでもある。セルトーのデリダ的戦術をあきらかにすることが第二部の目標となる。

 

二部以降→BOOTH

 

[1] 原題はL’Invention du quotidien, 1, Arts de faire。邦訳『日常的実践のポイエティーク』山田登世子訳、国文社、1987年(復刊ちくま学芸文庫、2021年)。本論文中にて邦訳のページ数を示すときはちくま学芸文庫版を用いている。また、原文を参照する際には1990年の新版(L’invention de quotidien I. Arts de faire, Paris, Gallimard, 1990, (Nouvelle édition, établie et présentée par Luce Giard ; Folio Essais, no 146))を使用した。セルトーの著作を含め、本稿において邦訳が存在するものを引用する際は基本的に既訳に準じているが、訳語を一部改めたり拙訳にかえた際には適宜明記した。

[2] Ian Buchanan. (2001) Michel de Certeau: Cultural Theorist, p.11.

[3] セルトーの共同研究者であり正当な後継者であるルース・ジアールは、神秘研究、広い意味での宗教史研究がセルトーに「再利用」の重要性を教え、それらがセルトーの「「認識されていない生産者、自分のための詩人、自身の道の寡黙な発明者」である一般の人々の活動を理解するために使用された」と指摘し、その上で『日常生活の創発性』と同時期に書かれたセルトーの神秘主義研究の大著である『神秘的寓話』を指して「私たちは、『もののやりかた』と『神秘的寓話』を並行して読むことができるし、そうすべきである」としている。「私たちと同時代のありふれた文化と過去数世紀の神秘主義というあきらかな対象物の違いのなかで、同じ切断、分析、選別の手順、同じ種類の手がかりを集める技術、同じ理解可能性のカテゴリー、基本的に同じ「行動と発言の方法」が働いていることを容易に認識することができる」。Luce Giard. ‘Un manquant fait écrire’, in Recherches de science religieuse 76 (3) MICHEL DE CERTEAU Le voyage mystiqueII, 1988, p.397f.

 このように、本稿で正面から扱うことはしないセルトーの神秘主義研究にも、本稿で扱う「使用」、再利用の問題系を読み取ることが可能である。しかしそれは、そうした研究から着想を得た問題系から人びとの「もののやりかた」を理論化する際、セルトーはデリダを経由した理論立てを行っているとする、後に展開される本稿の内容と相反するものではない。

[4] もっとも、私たちには、山口昌男がセルトーのキリスト教論に関心がなかったということはまったくないように思われる。というのも、そもそも該当箇所において山口はセルトーの提示するキリスト教にかんする図式、すなわちキリスト教は集団の排除原則に従いながらも「異人たち」には注意を払っていた、とする図式を丁寧に紹介した上で全面的に賛同しており、そのうえで、さらにセルトーが「伝道という行為の中にも、この〈異郷行デペイズマン〉の志が貫かれている」と言ってもいることに言及し「最も理想的な形では、それはその通りであったと思うが、われわれに、この議論につきあう義務はない」と、自身はその点は掘り下げない旨を記しているのみだからである(『知の遠近法』岩波現代文庫、2004、p.291.)。これをもって山口がセルトーのキリスト教論を退けていると主張することには無理があるだろう。

 また、つづく文章で山口はセルトーの『ルーダンの憑依』の冒頭の「異なるもの」への言及から次の分析を行っているが、これは本稿が『日常生活の創発性』に見る「抵抗」と非常に接近するばかりか、本稿における問題群とセルトーにおける「他者」の問題とをつなげる架け橋ともなる鋭い考察だといえよう。

「この事実が明らかにするのは、地の底(現実の底)に決して滅殺されることのない内的な抵抗があるということなのである。この姿を隠した内的な力は社会の中にたくみにすべり込む。そして突如、この力は、様々な方法や回路を利用して緊張を掻き立てる。」(同書、p.293.)

[5] 1970年6月30日から7月2日までフルヴィエールで開催された共同研究コロキウムの報告書。そのコロキアムは神学者と歴史家の間の会議を目的としており、各分野に固有の科学的実践を比較し、それに伴って生じる理論的な問題を明確にすることを目標としている。(同論文冒頭説明より)

[6] 渡辺優「「パロール」とそのゆくえ――ミシェル・ド・セルトーの宗教言語論の輪郭――」天理大学学報 70(1)、天理大学、p.22.

[7] Certeau. L’Ecriture de l’histoire, Paris, Gallimard, Bibliothèque des histoires, 1975. 邦訳『歴史のエクリチュール』p.164. 強調原文

[8] L’Invention du quotidien, 1, Arts de faire,p.240. 邦訳『日常的実践のポイエティーク』p.381.

[9] 邦訳をした山田登世子は「直訳すれば『日常の創発性』、あるいは『日常性の発明』とでもといった意味合いになる」ところを「思いきった意訳を試みて、『日常的実践のポイエティーク』とした」(『日常的実践のポイエティーク』ちくま学芸文庫版, p.510)としている。ちなみに「ポイエティーク」はセルトー自身が本文中で使っている、「ギリシア語のpoieinからきた語で、制作であり、発明であり、詩的創造であって、本書がたえず問うているもの」(ibid. p.510)である。

この邦題の解釈は尊重しつつも、私たちは『日常生活の創発性』という訳題を選択した。それは第一には、本稿においてはセルトーの原題を直接に想起できるものであるほうが好ましいだろう、という判断による。

加えて各訳語選択についても注釈しておく。先の引用ように« L’Invention du quotidien »は「日常性の発明(日常性を発明する)」とも取ることができる一方で、「毎日の創意工夫」というふうな意味にも取ることができる。日常生活をおくる名もなき人びとのすがたに光を当てようとしたセルトーの姿勢には前者の意味を読み取ることもできるが、そうした人びとが日々行っている「もののやりかた」に注目し理論化を試みた本書は後者の意味、すなわち「日常生活における創発性」の意味を中心に読み取るのが一般的である(「思いきった」邦題もこの後者の方向性に基づいているといえるだろう)。ここで後者を主題として訳語を選ぶとすると、inventionの訳語が問題となる。inventionは創意工夫の意味もあるが、日本語で「創意工夫」というとどうしても主体の側からの働きかけの側面が強くなってしまうように思われる。本稿におけるセルトー読解では、ある種アプリオリに、主体と他者とのあいだに潜在的に存在する契機としてセルトーのinventionを読み取る。したがってここではinventionは「創発性」と訳し、L’Invention du quotidienは『日常生活の創発性』とした。

[10] 名もなき人びとが発言すること[prendre la parole]=パロールの奪取は68年の五月革命を受けて書かれたセルトーの『パロールの奪取』にて先駆して主題的に扱われている。彼は「先の五月に人びとは、一七八九年にバスティーユ監獄を奪取したように、パロールを奪取した」(p.13)と、通常「発言する」の意味合いで用いられる« prendre la parole »という成句を一度解体し、ただ人びとが発言することが革命的意義をもったその自体を指す言葉として再構築させている。詳細は『パロールの奪取』および訳者あとがきを参照のこと。

[11] Luce Giard. « HISTOIRE D’UNE RECHERCHE » in L’invention de quotidien I. Arts de faire, p.XVI.(脚注1に前述の『日常生活の創発性』の新版に付せられたルース・ジアールによる序文)

[12] 渡辺優「日常的実践という大海の浜辺を歩く者――ミシェル・ド・セルトーと「場」の思考」『日常的実践のポイエティーク』 p.517.

[13] L’Invention du quotidien, 1, Arts de faire, p.XXXVII. 邦訳『日常的実践のポイエティーク』p.18.

[14] La culture au pluriel, Paris, UGE, 1974. 邦訳『文化の政治学山田登世子訳, 岩波書店, 1990.

同書は、セルトーが1968年以降に発表したいくつかの研究における独自の立場から、1972年4月にアルク・エ・スナンで開催された国際コロキウムの報告者に任命されたことによって書かれた文化研究をまとめたものである。Cf. « HISTOIRE D’UNE RECHERCHE » in L’invention de quotidien I. Arts de faire. p.VII.

『日常生活の創発性』で展開されるいくつかのアイデアはすでに『複数形の文化』のなかに素描されており、したがって私たちは『日常生活の創発性』の読解の上で非常に重要な著作として『複数形の文化』を位置づけている。

[15] 邦訳『文化の政治学』p.283. 強調原文

[16] Ibid., p.286.

[17] Ibid., p.297.

[18] L’Invention du quotidien, 1, Arts de faire, p.XXXVII. 邦訳『日常的実践のポイエティーク』邦訳p.18.

[19] Ibid., p.XXXVII. 邦訳p.18f. 強調原文

[20] Ibid., p.XXXVIIf. 邦訳p.19. (強調原文)

[21] Ibid., p.XXXVIII. 邦訳p.19. (筆者訳)

[22] Ibid., p.52. 邦訳p.109.(強調原文)

[23] Ibid., p.58f. 邦訳p.118. (強調原文、一部訳語を改めた)

[24] ここでセルトーが指摘する「記号[signe]」の反復性と、それゆえに記号化された実践は痕跡[trace]にすぎない、という思考は、デリダが「記号」全般に見る反復可能性の原理と重ね合わせることができるだろう。そして、それこそ私たちが第二部で行うことである。

[25] Marsanne Brammer, ‘Thinking Practice: Michel de Certeau and the Theorization of Mysticism’, diacritics, 22:2, 1992, p.27.

[26] Ibid.

[27] Ibid., p.62f. 邦訳p.124.

[28] Ibid., p.60. 邦訳p.121. (強調原文)

[29] Ibid., p.61. 邦訳p.121f.

[30] Ibid., p.63. 邦訳 p.125. (強調原文)

[31] Buchanan, I. 1996, ‘De Certeau and cultural studies’, in New Formations: A Journal of Culture/Theory/Politics, vol. 31, p.182.

[32] Ibid., p.184.

[33] Ibid.

[34] Ibid., p.188

[35] Ibid. p.184

[36] このドゥルーズの接続詞「そして(et, and)」へのこだわりについて日本語で簡潔に解説したものとして宇野邦一ドゥルーズ 流動の哲学[増補改訂]』 講談社学術文庫、2020、pp.65-74.

[37] Buchanan, I. 1996, ‘De Certeau and cultural studies’, in New Formations: A Journal of Culture/Theory/Politics, vol. 31, p.188.

[38] こうしたブキャナンのセルトーに対する読みはけっして強引なものではなく、それどころか、今なお他のどのセルトー研究よりも正確にセルトーの射程を把握しているとすら言えるだろう。たとえば『複数形の文化』に収録されたマイノリティーを主題とするセルトーへのインタビューを参照されたい(第七章「マイノリティー」邦訳『文化の政治学』pp.165-184.)。セルトーはそこで文化的要素にアイデンティティの基盤を置くマイノリティーの運動に警鐘を鳴らしている。このインタビューでセルトーはいくつかの重要な指摘を行っているが、(1)文化的諸要素のレベルに留まることは経済-政治的な商業主義のもと国立「劇場」に入れられてしまう、すなわちわかりやすくステレオタイプ化され、消費されるものに自ら身をやつすことになること、(2)客観的に民族を定義しようとすること、すなわち目録にあげられたデータに還元しようとする試みは抽象化不可能な「行為」の抹消を伴うこと、(3)自律は、表徴に固執すること、特定の民族に「なる」ために過去に「戻ろうと」したりすることや、自国語を絶対視することにあるのではないこと、すなわち、アルジェリアでは社会-政治的な自律の確立のためフランス語を一時的に導入したおかげでアラブ言語化政策が可能になったように、自律は言語がその目的なのではなく、自律の真の言語は政治的なものだということ等を指摘している(上記の整理は筆者による)。ここには特定のアイデンティティに結びつける「民俗学的方法」(邦訳p.177)の文化分析へのセルトーの断固とした距離感がある。また、特に(3)に関連して、「政策というのは、ひとつの戦略の上にひとつの戦術をつなげていくものなのです。自律というものは、戦略レベルに属することで、言語は戦術レベルに属しているのですね」(邦訳p.183)といった言葉が使われていることは、ブキャナンの言うようなものとして戦略と戦術の関係を把握していないと理解し得ないだろう。戦略と戦術が弁証法的に相対立するものだと考えていたり、戦略は権力者の行使する「悪いもの」で、戦術が民衆の武器であり「いいもの」だというような単純な理解をしていた場合、このセルトーの物言いはたんに理解不能なものか、『複数形の文化』から『日常生活の創発性』で戦略と戦術の用語法に変化があったという思考停止を招きかねない。しかし、いままで見てきた戦略と戦術の定義に照らした場合、この文章は容易に理解できるだろう。戦略というのは長期的な展望に基づいたものであり、戦術はその手段のレベルに属しうる、その場その場の働きである。このふたつの関係は一方が決まると必然的に他方が決まるようなAとnotAの関係ではなく、ブキャナンが正しく指摘しているように、互いに異なるふたつの項であるAとBの関係なのであり、したがって、戦略の上に戦術がつながったとしても何らおかしなことではない。

[39] L’Invention du quotidien, 1, Arts de faire, p.140. 邦訳『日常的実践のポイエティーク』p.233.

[40] Ibid.

[41] 「瞬間的」と「安定性」が並ぶここは確かに意味がつかみにくく、邦訳では「すべてのポジションが一挙にあたえられるような布置」(p.284)と訳されている。しかし原文は« une configuration instantanée de positions »であり、« instantanée »に「一挙にあたえられる」のニュアンスを読み取るのは厳しいだろう。わたしにはむしろ、ここの「瞬間的に[instantanée]」というのは、通時的な時間の流れの中での配置に対していわば共時的な、つまりその瞬間を切りとった断面図的な配置としての「場所」を意味しているように思われる。それは空間の特徴として「時間という変数」が取り上げられていること、「軌跡」の議論の際にも時間という観点を重視していたことなどからも傍証されるだろう。瞬間的な捉えかただからこそ、その見方は判で押したように同じものになる。しかしその奥にこそ異なるもの、流れとしての実践された空間がある、という構図がセルトーの基本的な戦術だといえるだろう。

[42] Ibid., p.172f. 邦訳p.284f. (筆者訳, 強調原文)

[43] Ibid., p.173. 邦訳p.284. (強調原文, 邦訳から一部改めた)

[44] Ibid., p.173. 邦訳p.284. (強調原文)

[45] Ibid., p.173. 邦訳p.284. (筆者訳)

[46] Ibid., p.148. 邦訳p.245.

[47] Ibid., p.149. 邦訳 p.247f.

[48] Ibid., p.149. 邦訳p.245. (筆者訳、強調原文)

[49] Ibid., p.170. 邦訳p.280

[50] Ibid., p.123. 邦訳p.212. (筆者訳、強調原文)

[51] Ibid., p.172. 邦訳p.283.(強調原文)

[52] Ibid., p.175f. 邦訳p.287f.

[53] Ibid., p.176. 邦訳p.289. ここで「道順」となっているのは邦訳ママであり、原文でもリンダとレーボヴの議論の紹介をする際には「地図[cartes]」(map)と「順路[parcours]」(tour)だったのに対して、ここでは「地図[cartes]」と「道順[itinéraire] 」になっている。

[54] Ibid., p.179. 邦訳p.293.

[55] Ibid., p.181. 邦訳p.296.

[56] Ibid., p.181f. 邦訳p.297.

[57] Ibid., p.182. 邦訳p.297. (筆者訳、強調原文)邦訳ではこれに続く箇所でも「承認する[autoriser]」を「権威づける」と訳しているが、これだと端的に誤訳であるばかりか、物語が空間の実践を可能にする条件として働いていることがほとんど理解不能になってしまう。

[58] Ibid., p.184. 邦訳p.299.

[59] Ibid., p.188. 邦訳p.306.

[60] Ibid., p.188. 邦訳p.306. (筆者訳)

[61] L’invention de quotidien I. Arts de faire, p.55. 邦訳『日常的実践のポイエティーク』p.113. (筆者訳、強調原文)

[62] John Frow. ‘Michel de Certeau and the practice of representation’, in Cultural Studies, 5(1), 1991, p.52. 強調原文

[63] 邦訳では名詞の« dissémination »のうちふたつを「散種」と訳すにとどまっている(p.266, p.353)。そのうち「ディセミナシオン」のルビつきで訳された「都市を歩く」の一部分から、「都市に散種された契機としての物語を...」といったようなことを述べる文献はわずかだが存在する(e.g. 近森高明(2005)「「都市を歩く」再考」、加藤政洋(2009)「問われるストリート・エスノグラフィーの方法」)。しかし、セルトーの« disséminer/dissémination »はまさに本書全体に散在しているのであり、本書に通底するセルトーのデリダ的思考から『日常生活の創発性』を理解することが第二部での私たちの目標である。

[64] デリダとセルトーには親交が存在し、思想的な影響関係もデリダからセルトーへという一方的なものではなかったことは指摘しておく価値があるだろう。セルトーの死後『ある時代のためのカイエ』誌において特集されたセルトーの追悼論文集 Michel de Certeauにはデリダも寄稿しており、そこではセルトーが『神秘的寓話』において考察した根源的な« Oui »をめぐって、デリダ特有の反復可能性の議論を倫理的側面へとつなげる文章が収録されている。‘Nombre de Oui’ in Michel de Certeau, sous la dir. de Luce Giard, Cahiers pour un temps, Centre Georges Pompidou, 1987, pp.191-205. 邦訳「ウィの数」『プシュケー 他なるものの発明II』藤本一勇訳、岩波書店、pp.345-360. 「ウィの数」からセルトーとデリダの距離を論じたものにHent de Vries. “Anti-Babel: The ‘Mystical Postulate’ in Benjamin, de Certeau and Derrida.”など。

 

 

*1:Michel de Certeau Cultural Theorist, Ian Buchanan, SAGE Publications, 2000, p.2.

*2:全文にはワンコインの料金設定をしていますが、これは今どき「無料だから」という理由で多くの人に読まれることもないでしょうし、届くひとにはまったく問題なく届くだろう、むしろある程度こちらで価値を示したほうが訴求性が出るのでは、 といった考えによります。まあわたしとしては10部も売れればいい方だと思っておりますが。

*3:加えて恥を忍んで言うと、提出が非常にギリギリだったため論文指導もほぼまったく受けていない

カレン・メルヴェイユの百合論①

この文章について
 Le manga au fémininという本(http://www.editions-h.fr/M10kimages3.html)に掲載されている « La révolte du lys : une odyssée du yuri »という文章の翻訳その1です。

 百合をその歴史から体系だって説明したジャンル論になっており、筆者のKaren Merveille氏が日本文学や日本史を専門に研究していたころに書かれた論文みたいです(Le manga au fémininは2010年発行)。

 ますます百合が発展していっているなかで、日本(語圏)において未だまとまった百合論が存在しないという状況はゆゆしきものだと思いますし、そうした点からの資料的価値もあるのではと思います。

 ずいぶんまえにnagat_o氏が序文を邦訳してくださっているのですが(https://nagat-o-blog.tumblr.com/post/41704180724/メルヴェイユの百合論-序文)、序文以降は邦訳がないので、ぼちぼちやっていこうかなと。

 今回は第一回というわけですが、すでに邦訳が存在する序文だけやっても芸がないので、今回の範囲は序文とそれにつづく一章です(これで全体の5分の1程度)。nagat_o氏の邦訳はけっこうびっくりするような誤訳が多いこともあり、序文の訳し直しも無駄ということはないかなと思います。ちなみに序文の原文は上のリンクにあるサンプルpdfから読めます。翻訳の精度とかを確かめてやるぜ~みたいな熱心な方はどうぞ。例によって許可を得ているわけではないゲリラ翻訳なので、お叱りが来たりなどしたら謹んで削除します。

 

 

 

白ユリの反乱:「百合」の冒険譚

カレン・メルヴェイユ

 

 『クローディーヌ…!』、『少女革命ウテナ』、『マリア様がみてる』、『少女セクト』、そして『LOVE MY LIFE』に共通している点とはなんだろうか。これらの漫画はすべて、元々発表されたのが男性向けの雑誌だろうと女性向けの雑誌だろうと、ファンたちにとっては、同じ「百合」というサブジャンルの一部になっているのである。

 1970年代、ゲイ雑誌の編集者だった伊藤文學がレズビアンを形容するために「百合族」という言葉を用いたとき、かれはまさかこの「百合」という言葉が、女性の同性愛を扱った非常に独特な編集上のジャンルを指す言葉として、ある読者や漫画家たちの一世代全体に横領されてしまうとは思ってもみなかっただろう。近年でもこの意味の「百合」の人気は増えつづけている。一迅社のような特定の出版社にとってはなんとしてでも利用したい棚ぼたの利益として、作家たちにとっては物語のなかにサッフォー風の*1ほのめかしをなにかしら入れることで多くのファンを惹きつけることのできる実入りのいい手段として。「百合」や「ガールズラブ」について、日本のオタクと話してみてほしい。それが男性であれ女性であれ、もし彼(や彼女)がそのジャンルのタイトルのいくつかを挙げられなかったら非常に驚きだろう。

 けれどもフランスでは、男性読者向けのポルノ漫画という漠然とした想定を除いては、一般的に「百合」という言葉はこれといったなにかを連想させるものではない。その想定も、間違っているわけではないが、きわめて単純化されている。違うのだ、「百合」は、シリコン加工された*2女子高生たちがロッカールームで舌を使ったスポーツを繰り広げるだけのhentaiなカテゴリーではないのだ。また、百合は「やまじえびねのようなシリアスな漫画のこと」でもない。やまじえびね的な百合は、彼女固有の表現方法にすぎない。最後に、百合はただ単に、女性読者に空想させられるようなイケメンたちの恋愛関係を扱った「ボーイズラブ」の反対にすぎない、というひとがいるかもしれない。これは悪い答えではないが、逆に言えば、同時にこの答えは、百合は男性ホルモンでいっぱいの読者を惹きつけるだけで、女性読者を惹きつけないということを言外に示唆している。

 ところが、一迅社のような出版社の統計が示すように、百合の読者層には女性読者が無視できない割合で含まれている。雑誌『コミック百合姫』の読者は3分の2以上が女性で、そのうち二十代以上が70%を占め、三十代以上も25%近くを占めている*3。さらに言えば、もし男性向けポルノにおけるレズビアン幻想の重要性や、男性漫画家のこのジャンルへの投資を否定できなかったとしても、日本のフィクションにおける女性同性愛の歴史に興味を持ったとき、「現代的な」百合の起源が女性向けの出版物のなかに見つかることはあきらかである。1970年代の少女漫画における異性装や女性の性同一性障害へのこだわり(造語がお好きなら、「プロト百合」)、十代の少女が歳上の女性(「お姉さん」)に惹かれること、学園恋愛、純真無垢なブロンドのヒロインと経験豊富なブルネットの女性との関係性、花言葉...... これらはすべて、少女向けの芸術作品にかなり早くから見出すことができる。それでも信じられないだろうか。

 「百合」はあとになってからつけられた名前であり、それは「ボーイズラブ」の模倣としての「ガールズラブ」だとも言われているが、けっして日本において最近の出来事だとはいえない。わたしたちはタイムマシンの助けを借りて、明治時代と大正時代が交差する20世紀初頭の大衆文化のなかに、しばしば「少女文化」と呼ばれるものとして生まれたものに、その創設を見出すことが可能なのである。

 

大正少女たちはなにを夢見ていたのだろうか?

 自分の娘たちが宝塚歌劇団吉屋信子少女小説(「エス小説」や「クラスS」*4とも呼ばれる)に惚れ込んでいるのをみて、当時の人びとはそう尋ねあったに違いない。破壊的で堕落的なメッセージを含んでいたために、どちらもモラリストたちのあいだで論争の的となっていた。

 欧米では、氷栗優などの本国(フランス)でも出版された作家の一定数が宝塚歌劇団への愛を語っているため、一般的に人びとは宝塚についての漠然とした理解はもっている。とりわけ池田理代子の描く男装したヒロインなど、この演劇の伝統は漫画家のインスピレーションの源となっていることが多く、宝塚も『ベルサイユのばら』などを舞台化することで好意を還元しているということがわかったのだ。

 宝塚歌劇団は1913年、観光客誘致のための新しいアトラクションを探していた、当時政治家であり実業家でもあった小林一三の後援のもと、兵庫県で誕生した。歌舞伎が男性のみで演じられるのに倣って、男役を男装して演じる女性だけで構成された劇団を作りだそうと決めたのだ。グループ名は鉄道路線(阪急宝塚)にちなんで名付けられたとされ、初回公演は1914年に行われた。今日でも変わらず宝塚は存在し、成功を収めつづけている。

 宝塚は女性の役者だけで構成された劇団だから、何よりもまず男性の観客が多いのだろうと思うひともいるかもしれない。しかし実際には反対で、レヴューが魅了したのは女性の観客だった。公式の統計はないようだが、観客の90%は女性だとも言われている。遠い昔であっても、同様に観客の過半数は女性が占めていたという。いったいなぜ? この女性による男装ショーに、彼女たちはなにをそこまで惹かれたのだろうか。

 エリカ・アビット*5によれば、当時の日本の若い女性たちはきわめて短絡的に、宝塚をフェミニズムの理想を体現したものとして見ていた。宝塚は家父長制の図式のもと築かれていたにもかかわらずに、である。というのも、女優たちは退団後、家族だけでなく国家全体のためにも良き妻、良き母になることを運命づけられていたからだ(「良妻賢母」の理想形である)。とはいえ、女性の観客にとって、男装した女性が演じる「男役」は非常に革命的なものに映ったようだ。すなわち、たとえ「男役」が劇中ではひとりの男であっても、観客の女性たちは違った仕方で彼女を感じ取り、男の社会的役割とそれに伴う責任や社会的権利を引き受けているひとりの女性として見ていたのである。

 しかし、この分析がたしかに間違っていないとすれば、ジェニファー・ロバートソンがしたように、宝塚にはセクシュアリティそのものと結びついた、より厄介な性格があることを指摘することは有益だろう。同時に男女を演じ分け、舞台上で情熱的な愛の物語を生きるこの女優たちについて、どうして考えずにいられようか。男役と娘役の情熱のなかに、道徳的・社会的法則に立ち向かう同性愛的関係を見ずにいられようか。禁断の、それゆえに必然的に熱狂的な恋を。

 1970年代後半の漫画家がそうだったように、当時の女性観客たちは間違いなくこの強いほのめかしに敏感だった。そもそも当時の新聞が、お気に入りの男役にのぼせきったファンが送ったラブレターや、若い女性同士の駆け落ちや心中事件まで、ゴシップ記事をいち早く報じていたのだ。たしかに、ジャーナリストはいつでもすぐに話に盛るから、虚偽から真実を抽出することは難しい。けれども、そのことがスキャンダルになって、1920年代頃には男役は恥ずべき事件を避けるためにファンとの交流を禁じられていたという事実が残っている。日本には男性同性愛の長い歴史があったが、サフィズムは人目を引きすぎるようになるといつだってよく思われてこなかった。けれども、同じ頃、少女小説というまったく新しい文学ジャンルが生まれ、そこではとくにレズビアンでありフェミニストの作家、吉屋信子が活躍していたのである。

 「少女小説」は概して純真無垢だった。「エス(S)」という言葉は「クラスS」と「少女小説」の両方の名称のなかに見て取ることができるが、一般的に、あるときは「少女」という言葉を、またあるときは英語の”sister”の頭文字を指すものと考えられている。しかしながら今日では、現代の百合において、「エス(S)」は少女同士の融和的で愛情に満ちた関係を指すための婉曲表現になっていることが多い。おまけに、雑誌『百合姫S』のタイトルにも再利用されている。おそらく、吉屋の語る物語の影響で意味が変化したのだろう。

 彼女のもっとも有名な作品は、雑誌『少女画報』に9年間(1916〜1924年)の間に初掲載された短編小説をまとめた『花物語』だ。吉屋信子が喚び起こすのは、女子校に通う思春期の少女たちのセンチメンタルな悩みや、とくに結婚にたいする「宿命的なもの」という見込みを伴った、大人の年齢になってからの恐ろしい別世界に直面することへの恐怖だ。少女たちは学校という額縁から離れることを恐れ、大人の女性たちはまだ少女だった頃(無垢な子供だった頃)を夢見る。一方で、男たちはネガティブな役割を担うことが多く、女性に下品な言動で接したり、商品のように扱ったりする。

 反-家父長制的、反「良妻賢母」的なメッセージはこれ以上なほどに明確である。しかしながら、この核心をついたメッセージに加えて、古屋は女性同士の感情の美しさをも強調し、ときには少女と歳上の女性とのあいだの絆に大きな関心を寄せる。他の作品では、あえてエロティックなだけの描写をすることもある。彼女の筆致は、性行為の喚起に関しては繊細なものにとどめている(彼女の著作が若い読者向けのものということを忘れてはならない)。しかし、『花物語』がたんなる純愛ものの連作だと考えるべきではない。

 「日陰の花」は、ひとりの少女がほかの少女に対して抱く肉欲が完全に中心に据えられている。母を亡くした環は、満寿という母の生き写しのような女性に出会い、すぐにその見た目に性的魅力を抱くようになる。また、物語によってはより悲劇的なスタイルになっている。『合歓の花』では、〔主人公の〕順子は、指輪をしているのを見て婚約を知った最愛の人、満智子の写真を握りしめたまま病死する。1970年代の未来の少女漫画のトーンを予告せずにはいられない、恐ろしい結末。

 吉屋信子が彼女固有のファンタスムを描いているだけだと考えるのは間違っている。同性愛への訴えかけは、ここではまったく別の十八番の役に立っている。つねに男性の支配と女性の服従に立ち向かうために、筆者は根本的に対立するふたつの世界を築き上げている。一方は、少女たちの非現実的で空想的な世界であり、そこでは彼女たちは恋愛の駆け引きを謳歌し、互いの純粋さを見ていて、同様にエロティックな美しさが称揚される。

 もう一方は大人たちの世界で、少女たちは男たちによって無垢な世界から引き剥がされ、つらい現実を突きつけられることで女になっていく。幸せな思い出のノスタルジーだけが、彼女たちを失われた楽園に連れ戻すことができる。理想化された、愛され合うふたりのあいだの等号というひとつの土台のうえに構築された同性愛の愛*6は、女の男への服従のうえにしか築かれない異性愛の愛とつねに対立しているのだ。

 現代の百合は、概してこの糾弾的な側面を失っているか、希薄になっている。しかしながら、1970年代の特定の物語の悲劇的な要素や、女性同性愛の理想化、現実の大人の世界から切り離された女子校で起こる物語がいまだに強い優勢にあることなどを通して、この影響の痕跡は今でも見て取ることができる。同様に、妹の姉に対する憧れや、先生のような権威のある人への年下の女の子の憧れといったものにも。

 吉屋信子の文章は文学者たちからは批判されていたが、すでに宝塚の男役に魅了されていた若い娘たちのあいだでは大人気だった。女子校では、年下の少女たちは年長の少女たち、「お姉さん」に情熱的な思慕の手紙をやり取りするのに夢中になっていたが、大人ではなく十代の少女の特権である限り、多かれ少なかれ黙認されていた。

 しかしながら、この寛容さはやがて終焉を迎え、少女小説1920年代には検閲を受けることになった。幾人もの少女たちが噴火口に身を投じた三原山の事故が、火薬に火をつけたようだ*7。このような心中の事例が、女性同性愛に汚名を着せる正当な理由として指摘されたのである。それは社会問題とみなされ、他の問題と同様に、摘出されるべき存在となっていた。異性愛者にも自殺という現象が存在していることに疑問を抱きはしなかったのだろうか? ほんの少しも。女学生たちが破廉恥な手紙を交わすことは禁止され、こうした恋愛は少女を「純潔」から踏み外させるとして悪魔化された。女同士の恋愛感情が存在する権利のない、このますます苦しくなる現実とともに、『花物語』の最後のエピソードはいっそう悲観的になり、いつか大人になってしまえば彼女たちの愛を生きられないことに絶望した何人ものヒロインたちが自殺していく*8

 ときに並外れた吉屋信子の弁護にもかかわらず、検閲が最も厳しくなり、少女漫画がプロパガンダの道具になったとき、サッフォー風の修辞表現は抑圧され、最終的には戦争への恐怖とともに完全に消えてなくなった。その当時、この種の物語をよみがえらせることは不可能なように思われた。不死鳥のごときメロドラマ的な再生を為すまでは。*9

*1:訳注:レズビアン的な、の意。

*2:訳注:おそらく、主に胸とかを、不自然に。

*3:訳注:単純な算数になるが、十代が30%で、いちばんのボリューム層の二十代が45%、三十代以上が25%、ということになる

*4:訳注:「エス小説」に比べてこちらはあまり見ない表現だが、英語版Wikpediaには記事が存在する(https://en.wikipedia.org/wiki/Class_S_(genre)。ただ、多少調べたが、インターネット上では日本語圏でこのことばを使っているひとは見つからなかった。)

*5:原注1:エリカ・スティーブンス・アビット「両性具有と他者性:日本のパフォーマティヴな身体から西洋を見る」『アジアンテアトルジャーナル』ボリューム18、第二巻、2001年〔訳注:論文リンク(https://www.jstor.org/stable/1124155)〕

*6:訳注:若干くどく直訳しすぎた感もあるが、原文は« L'amour homosexuel, idéalisé et construit sur une base d'égalité entre les deux aimées, ... »。

*7:訳注:三原山の事故は検索をかければ多くの情報が出てくる。「1933年1月9日と2月12日に実践女学校の生徒が噴火口へ投身自殺。2件とも同じ同級生が自殺に立ち会っていたことがセンセーショナルに報道され、この年だけで129人が投身自殺した」( https://ja.wikipedia.org/wiki/三原山 より)

*8:原注3:吉屋信子に関する一部の情報は、以下の記事に拠っている。Dollase, Hiromi Tsuchiya, « Early twentieth century Japanese girls' magazine Stories: Examining Shojo voice in Hanamonogatari (Flower Tales) », Journal of Popular Culture, volume 34, n° 4, 2003.

*9:訳注:原文では« Jusqu'à ce que… »でこの章は終わっており、次の章の見出しの« La renaissance mélodramatique du phénix »につながるかたちになっている

そこには

 社会があるのだろうか。物語があるのだろうか。

 ひとが何某かのストーリーに基づいてしかあらゆるものを認識できず、したがってすべての問題は物語とその信仰へと帰されるのであれば。すべては物語だ、ということになる。

 たとえば、私たちはなんだかよくわからないこの「世界」に放り込まれて、日々あくせくと生きている。この場所はどうやら社会と言ったりするらしい。私たちは人間と分類される生き物で、同じ言葉をしゃべったり、違う言葉をしゃべったりするんだけど、みんな同じ種類なんだって。

「だって、見ればわかるでしょう?」

 視覚は雄弁だ。けれど、見たいものを見られているかどうかはわからない。言葉も世界なるものも生まれたときから存在するし、言葉に文法が存在するように、「これはこう見るもの」というものの見方はあらかじめ大体きまっている。そこにある風車は、少なくとも巨人には見えない。私たちは、世界に生きているというよりは、物語のなかに生きている。

「世界って何?」

「まず、創造主さまがいてね」

「違うよ、最初にビッグバンっていうのがあって......」

 まず最初になにかが存在して、そこからこうなって......。ひとはたいてい「なぜ?」と聞かれたとき、まず原初的な何かを想定して(あるいは創造して)、そこから説明しようとする。大前提とゆるやかな因果関係から紡がれる物語。もっぱら人びとにとって、創世記もビッグバン宇宙論も、信仰対象の物語としては大差ない。

 しかし「世界って何?」は「なぜ?」ではない。「なぜ世界が存在するのか」と「この世界は何ものなのか」は、およそ別の問いだ。いっさいの物語を抜きにしても、あらゆる説明に先だって、この「今」は存在する。この「今」のある場所は何ものなのだろうか。便宜上、それに与えられた名前がこの「世界」なのだとすれば、それは空虚な型のひとつ、中身のない物語にすぎないということになる。けれども、事実の総体かもしれないし、私そのもののことかもしれないし、というふうにその中身を補填しようと、人びとの共通認識として語られるなかで、「それ」は物語のかたちを帯びてくる。共通の理解のかたちを探り当てようとすることは、共通の物語をつくりあげることであり、他者にむけて開かれた行為だ。物語は伝播する。ひとは物語のなかでしか生きられないだけではなく、物語をつくり、また物語を求める。

 人びとが「世界」という物語のなかにしか生きられないのであれば、「現実」という言葉にも再考の余地が浮びあがる。通常思われているように、物語が真にその奥に存在する「現実」を覆い隠しているのではない。 物語、、 まさに、、、 私たち、、、 現実、、 そのもの、、、、 組織、、 している、、、、 。人間がこの世界に存在せずに生きることができないように、人びとはなんらの物語も分有せずに生きることはできない。何かを見るとき、聞くとき、語るとき、つねにすでに私たちは物語と共にある。ひとつひとつの物語が現実をつくりあげる。

 この強固な物語の作用は、それゆえに連帯を、また排他をも生み出す。各々の拠って立つ「現実」はそれぞれの物語のなかで組織されていて、その幾多の物語は取捨選択が不可能なレベルに内面化されている。ふたつ以上の現実に同時に依拠することはできない人びとにとって「現実」はひとつであるべきで、相互に矛盾する「現実」があれば、どちらかが誤りということになる。どちらの「現実」に拠っているかは、わかりやすく連帯のしるしになるし、わかりやすく敵対のしるしにもなる。

「あのひとたち、何を言っているんだろうね?」

「現実を見てないんだろうな、一種の集団幻想だよ」

 お互いの物語の差異のなかで、現実と幻想の二分法が用意され、それは私たちの生きるこの世界の強固な基盤として働いてくれる。正常と異常の二項対立をつくりあげ、自らの信仰する物語を前者として、向こう側に幻想を置くことで、人びとはようやく安心してこの「世界」に安住することができる。

 けれども、まったくの現実というものがあるとすれば、それはまさに物語という象徴秩序の網の目を破って出てくる、物語にけっして回収されることはないなにものかだろう。想像を絶するような、直視することは到底耐えられないような理不尽な何か。得てして人びとはそうした〈出来事〉を「物語」にすることで理解可能な/記述可能なものにして領有し、安心してしまうものなのだが。

「現実を見なさい、まあそこには物語しかないんだけど」

 

 

 

 

補足

この文章は完全なQ体さんの「社会と物語、存在と寂しさ」(https://note.com/torchfish_story/n/n77c6f2478512)あるいはその改訂前の文章である「呪詛・物語・社会」(http://circlecrash.hatenablog.com/entry/2017/12/07/235910)に触発されて書いた文章です。

ただ、内容的には直接の関係はないため、もちろん独立して読むことができます(もしいまそう読んでいただけたのであれば、その通りに)。

自選短歌(1)

私の作った短歌で特に気に入っているやつを選んでみた。
だいたい2019年くらいから最近までのもので、Twitterに投稿するのもなんか気恥ずかしいからとiPhoneのメモアプリでしばらく眠っていたものも多い。というかほとんどである。
各句の並びは適当なので、年代順ってわけでもない。
(1)なのは続きの余地を残すためで、すぐに(2)が更新される予定はいまのところない。

 

 

 

 

 

ハッピーバースデー今日はおめでたい日なので天使がそこでパンを焼いてる

 

幸運の女神様に気に入られたい 二度あることは三度あるべき

 

新しき年の初めに会う顔に仄かさす紅都会まちの早や梅*1

 

目が覚めてカーテンから射しこむひかりがすこし明るいそういう祈り

 

あえてこたつで寝る柔らかいベッドは少しぼくには優しすぎるから

 

九十九里浜をひたすら南へと歩いて歩いて歩いて歩く*2

 

今日の夜ごはんは君の大好きな......(君の顔ってどんなのだっけ)*3

 

気がつけば残らず消えた夏の跡 彼岸だねもうそこにはいない

 

「いつかまた」そうして君は去っていき僕はひとりで夜はただ秋

 

二分先指示系統を失って手と足と目は晴れてさよなら

 

もしかして私の命があるかもと 凪の浜辺を歩いてみたり

 

喪を果たす/リクライニングする/夜を束ねてしまう/明け星をみる

 

ゆっくりと皮膚を蝕む透明に輪郭でさえ消えてなくなる

 

つま先でなぞる昼顔東京に明日はあるの「夏には帰る」

 

このたかが三十一の言の葉にひとの個性が出づるものかは

 

 

*1:初出は「新春いちごつみ」

https://twitter.com/YukariKousaka/status/1486908395605028864

*2:初出は「固有名詞短歌」

https://twitter.com/YukariKousaka/status/1413110383301120001

*3:初出は「君の顔ってどんなのだっけ短歌」

https://twitter.com/YukariKousaka/status/1395211205191471106

おいしいカルボナーラの作り方

 突然だが、「おいしいカルボナーラ」を想像してみてほしい。おそらく以下のような条件が当てはまっているはずだ。

・湯気が立っている

・パスタである

・それにはおおよそ卵・生クリーム・チーズなどからなるソースで味付けがされていて、ベーコンや、もしかしたらソーセージなどが入っている

・胡椒がかかっている

 さて、下二つには個人差があるかもしれないが、おいしいカルボナーラと聞いて人が思い浮かべるものには大体上記のような性質があるはずだ。
 それならば、こういう結論を導き出すことができるかもしれない。すなわち、

 

「人類に共通の『普遍的においしいカルボナーラ』という概念が存在し、人間はそれを作ることができる」

 

 これはカルボナーラに限ったことではなく、少なくとも食べ物、調理された物全般について言えることではないだろうか。しかしながら料理全般に広げると話が大きくなりすぎてしまうので、ここではカルボナーラを一例として論を進めよう。

 まず、人間がおいしいと感じるために必要なものは何か。当たり前だが、まず脳である。これがないと認識も成立しないから成り立たない。そして、味覚受容体。これは人間には味蕾が相当する。舌がないと料理の味は感じられない。当たり前だが重要なことだ。化学感覚として味覚と近しい関係にある嗅覚も必要だ。香りによって料理の味が良くなると認識することもその逆もままある。こと食べ物の味において、消化器官などについては考えなくていいだろう。

 おいしさを感じるファクタとして三つを挙げた。脳、味覚、嗅覚である。ここでの味覚、嗅覚は感覚器官の段階であって、脳による最終的な認識(情動)とは区別していることに留意したい。

 例えば「何を食べてもおいしいと感じるように脳をいじられた状態」の人に食べさせたカルボナーラは、どんなものであってもその人にとってはおいしいカルボナーラであるかもしれないが、普遍的においしいとは言えないだろう。同様に、脳にどうにかして直接「おいしさ」を感じさせるカルボナーラがあったとして、それが「カルボナーラとして」普遍的においしいカルボナーラたり得ているといえるかというと難しい。普遍的においしいカルボナーラは脳に直接作用させた結果としてではなく、味覚と嗅覚によって誰にとってもおいしいと知覚されるものでなくてはならない。

 しかし、こうも考えることができる。「何を食べてもおいしいと感じることができないように脳をいじられた状態」の人に食べさせたカルボナーラはどうあってもおいしいと知覚されない。この状態はひどく限定的なものだが、これと似た状態になっていない人間の存在を否定できるだろうか。そうして敷衍させていくと、我々は人類が共通して同じものから同じ味を認識できるということを無意識のうちに前提にしていたことに気付く。味覚障碍者の人だって存在する。味覚障害でない人、という風に括ったとしても好き嫌いは存在するじゃないか。そういえば自分はつぶあん派なのに友達のアイツはこしあん派だったなあ。この前行った丸亀で七味を尋常じゃない量かけているおじいさんがいたっけなあ。

 つまり「普遍的においしい」カルボナーラは、結局脳の状態によっておいしくないと判断されうるし、味覚や嗅覚が局所的におかしい場合も同様である。どこかおかしい人がそのおいしさを認識できないだけ、とも言えそうだが、そうなると「普遍的においしい」という定義が怪しくなってくる。「人類に共通の『普遍的においしいカルボナーラ』という概念」は幻想であった。このままではいつまで経ってもおいしいカルボナーラは作れない。

 こう反論する声もあるかもしれない。

「自分は一流のシェフが食べたとてもおいしいカルボナーラを食べたことがある。あれは誰が食べてもおいしいという筈だ!」

 しかしこれも反論むなしく、人類が共通の味覚を持っているという驕りに基づいている。普遍的なおいしさなど存在しない。我々は最初に帰ってこう言い直す必要があったのだ。

 

「わたしはわたしがおいしいと思うカルボナーラを作ることができるよ」

 

 普遍的なおいしさという概念は幻想であった。しかし、おいしいカルボナーラは少なくとも存在するはずだ。一流のシェフが作ったカルボナーラをおいしいと感じた様に。だがこのおいしさとは自分の手の届く範囲以上に広がると一気にあやふやで曖昧なものになる。自分は自分の味覚について自覚があるから、自分が食べているものをおいしいと思っていることを理解できる。しかし、他人についてはせいぜいあれがおいしいこれがおいしいと言っていることを外から観測することができる程度で、予測以上のものは立てられない。様々なものを食べているところを見、食べ物に向ける趣味嗜好を聞き、データを積み重ねたうえでやっとこう言うことができる程度だ。

「ぼくは多分君がおいしいと思ってくれるカルボナーラを作ることができるよ」

 しかし、人間が同じ生物種である以上、ある程度の味覚上の好みというものは存在するし、それが同じ食文化圏なら尚更言えるだろうことは否定しがたい。系統樹的には遠く離れた昆虫でさえ甘味や低濃度の塩には嗜好性を示すし、苦みや高濃度の塩には嫌悪を抱く。シェフが職業として成り立つのもそれを傍証しているだろう。

 つまりは、「最大多数がおいしいと感じるカルボナーラは存在し、それは誰かが作ることができる」。こう言い換えてもいい。カルボナーラは今まで不特定多数の誰かが作ってきたから概念として存在するのであり、それらすべてをデータとして見比べ、全世界の人の味覚的嗜好性と照らし合わせたときに「最も多くの人においしいと感じさせるカルボナーラ」は確かに存在するだろう。これを便宜上「世界一おいしいカルボナーラ」と呼ぼう。

 さて、私の目の前には二つの選択肢がある。すなわち、「わたしがおいしいと思うカルボナーラを作る」という選択肢と、「世界一おいしいカルボナーラを作る」という選択肢だ。後者はもちろんバーチャルな世界一であり、そこに漸近することを目指して作ることにはなるが、それは前者の場合であっても程度はあれ変わらないことだ。

 「私」にとって、「世界一おいしいカルボナーラ」が私の味覚に合うものであるかは不確定である。それに、世界一おいしいカルボナーラが世界一おいしいかは私には確かめようがない。観念論的に私=世界だとすると「わたしがおいしいと思うカルボナーラ」と「世界一おいしいカルボナーラ」は同一の存在となるが、この場合の「世界一」は最大多数のものにとっての世界一だからだ。その最大多数に自分が含まれているかは定かではない。それゆえ、私が目指すべきなのは「わたしがおいしいと思うカルボナーラ」だろう。

 しかし、私から出発して考えてみると、「わたしがおいしいと思うカルボナーラ」は「わたしと味の好みが似ている人がおいしいと思うカルボナーラ」に、ひいては「わたしと同じ食文化圏の人がおいしいと思うカルボナーラ」にまで拡張しうる。食文化圏という壁はあるだろうが、「私」から出発したカルボナーラは有限とはいえ広大な広がりを持つことができるポテンシャルを秘めているのだ。

 私は私のおいしいと思えるカルボナーラを作ろう。そう思って再びもう一つの壁に突き当たる。「カルボナーラ」とは何だろうか。最後に黒胡椒を振らなかったらカルボナーラではないだろうか。ベーコンがなかったら、はたまたソーセージだったらカルボナーラではないのだろうか。醤油やコンソメを少量入れて和風なテイストに仕立ててみたらカルボナーラではないのだろうか。これはカルボナーラを定義していないことから起きる問題であり、カルボナーラを定義してしまえば解決する。この文章の最初に挙げたような条件によって。黒胡椒を振り忘れたカルボナーラは「黒胡椒を振り忘れたカルボナーラ」になるし、ベーコンをソーセージで代用したカルボナーラは「ベーコンをソーセージで代用したカルボナーラ」と呼称できる。

 ようやく準備が整った。これで私はついにおいしいカルボナーラを幾分の心の迷いなく作ることができる。作るのに必要なのは、脳、視覚(調理する際に必要。目をつむっても作れるのなら不要)、味覚受容体(味見に必要。味見をしないのなら不要)、嗅覚(材料の状態を確認するのに必要。買ってすぐのものしか使わないなら不要)、肌(温度受容器。温度を頼りにせず作れるなら不要)、材料や調理器具を扱える腕、フライパンや鍋等の調理器具、スパゲティ(適量)、卵(適量)、チーズ(適量)、生クリーム(適量、本場では使わないらしい)、ブロックベーコン(適量)、黒胡椒(適量)、バター(適量)、あとはお好みで。食文化圏によって大体の味覚嗜好性は似たり寄ったりになるとはいえ、最終的な味の好みは個々人の認識によるため、自分の好きな味とそれを実現できる術を身に着けていることは当然必要である。これはトライアルアンドエラーによって、または料理に関して情報を集めること(例:クックパッド)によってしか手に入らないので注意が必要である。これは釈尊が生まれてからすぐカルボナーラを作ったという逸話が存在しないことからも明らかで、無から有はよほどのことがない限り生まれない。また、当然だが、いい食材を使ったほうがおいしいものができる。

 おいしいカルボナーラとは何か。自分が納得しておいしいと思えるカルボナーラである。そして、今まで食べた中で一番おいしいと感じるカルボナーラを作れたら、それは自分にとって世界一おいしいカルボナーラである。おいしいカルボナーラ像は個々人の内面に存在するものだが、それは現実に一対一の関係で対応するものではなく、可動性をもって広がりうる。将来、「まだ食べたことはないけれど、今まで食べたカルボナーラよりもおいしいと感じるカルボナーラ」を食べることがあるかもしれない。「世界一おいしいカルボナーラ」を常に未来にあるものと置いて永遠にそれを求め続けてみるのもまた、いい料理人の心構えといえるのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

補足

大昔に書いた文章なのでネタとはいえ結構粗があったり全体的に軽薄だなと思いつつ、これはこれで味があるのでほとんどそのままです